書評日記 第47冊
愛はさだめ、さだめは死 ジェイムズ.ティプトリー.Jr
早川文庫

 千代の富士が3日めで貴花田に敗れて、若貴時代がはじまる。いろいろあったけど、貴の花は横綱だし、若の花は大関になった。(でもなあ、若の花は今5勝4敗、もう負けられないな。)あいかわらず、寺尾はいい男やっているし(おばちゃんのFANが多いのだ。かくいう、うちのおかんもFAN)、霧島は近々断髪式だそうである。曙はずいぶん日本語がうまくなったし、貴の浪がいまは全勝だそうである。そういえば、双羽黒はどうしたのであろうか。不謹慎ではあるが、大至には、ぜひ曲げを結えなくなったことを理由に引退してほしいものである。

 相撲ネタを日記にして毎日書いているひとっていないのかなあ。とか思って、ちょっと、相撲日記(?)風に書いてみました。

 なんか、いろいろな日記とかランキングとかあるけれど、俺はしばらくこのまま、どこにも所属せずふらふらいきます。1ヶ月間だけだったけど、あわただしい毎日だった。なんか「変」だ、やっぱり。俺はもっとゆったりいきたい。
 あばれるぞを久しぶりに見た。ま、ネットスケープを愛用してはいるけれど(しかも、いまだに2.0ベータだったりする。試用期限きれてるのに。)フレーム機能は嫌いなんで、あんまし見なかった。ふと思ったわけだ。インタネットイクスプローラ(MSが出している。当然、JavaScriptとか動かない。)で見ればいいわけだ。というわけで、「あばれるぞ」は、フレームなしで見ます。んー、なんだか。(ま、どっちでも見られるというのは、なかなかの配慮だと思う。)
 そうそう、『刹那的な少女』云々のところなんだけども、俺は1万年生きるつもりなんで、ま、100年とかなんとかは、誤差誤差。でも、やさしくされると死んじゃうかもしれない。(はい、元ネタはわかりますね。)

 さて、今日の一冊はジェイムズ=ティプトリー=Jrの「愛はさだめ、さだめは死」。あら、今、ちょっと確かめたのだが、どうも勘違いしていたらしい。確か長編の作品で、「ある少女が宇宙船で旅をする。そして、病気にかかってしまう。少女は地球に迷惑がかからないように、と決断し、宇宙の果てに飛び立っていく。」という、ちょっと悲しいお話である。こっちの「愛はさだめ」は短編集だった。どうやら、「故郷から一万光年」・・・ではなくて「たったひとつの冴えたやりかた」という題名で、川原由美子が表紙を書いていた本だったらしい。ま、いいか。
 この本の最初の部分に書いてあるのだが、ティブトリー=Jrは、SF界で男性作家としてデビューし、男性作家として亡くなっている。俺がこの本に出会ったときには、既に彼女は亡くなった後なので、そう惑わされることもなかったが(不幸にも、前書きを先に読んでしまったため、そのへんの自己分析はできなかった。)ま、ともかく、出版された本は男性作家として評価され、批評された。もちろん、死後であっても、その高い評価はかわらず、むしろ、男性的である文体に高い評価を、かつ、女性的である感性に再び高い評価が与えられている。
 女性SF作家としては、アシュラ=ル=グインの「夜の言葉」とか、大原まり子の「ネットワークで歌う鯨」が好きだ。

 そうそう、こういう小話を知ってる?
 「ある重傷の男性が、病院にかつぎ込まれた。彼は、それはもう目もあてられない状態であった。医者は、言った。『私にはできない。』」
 なぜ、できなかったのか? 1分以内に答えなさい。
 (残念ながら、俺は、答えられなかった。)

update: 1996/07/15
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