書評日記 第69冊
は〜い、お約束の69冊め。異才シリーズの第三冊目。本当は、もっとマニアックな本を探したのだけれど、俺の本棚にはあんまりそういうのは無いんです。ま、もうちょっとジジイになったら、春画とか集めてみようかな、とか思っているけど。まだまだ、安い文庫本を買い込むのは、単なる貧乏性だからなのでしょうか。でもなあ、全集8冊で16万円強ってのは高いよ。池波正太郎だったら、一冊、二冊、三冊・・・。もうちょっと考えてみるつもり。
そうそう、夜な夜な、鵜の目鷹の目で「ツッコミ」を考えている方へ。どうかなぁ、わっかるかなぁ〜、わっかんねぇだろうなぁ〜。
早速、本日の一冊「滑稽漫画館」(河出文庫)を送りましょう。これは宮武外骨の出版した新聞等のピックアップ版です。以前、ぐふぐふ笑っていた赤瀬川原平の「外骨というひとがいた」の元ネタ。
宮武外骨は、「みやたけがいこつ」と読みます。そうそう、俺のFEP辞書もこういうのが沢山入っています。いちいち人名で登録するのは面倒なんで、すべて一般名詞登録。ま、使っている分にはどうでもいいんだけども。分類する必要があるのかなあ。
話を元に戻すと、赤瀬川原平によれば、「現在のギャグの元ネタ」がここからたどれます。明治から大正にかけて「滑稽新聞」・「スコブル」など13、4紙の新聞を出しています。当時の新聞は、4頁から8頁ぐらいのぺらぺらなもので(だから、三面記事とかいう言葉が残ってるのだ。)ま、庶民の唯一の娯楽ものと思ってかまいません。大正にかかると、一昨日話した押川春浪などが雑誌を作り始めます。この頃から、少年倶楽部などの子供向けの雑誌が出はじめ、伊藤彦造等が江戸川乱歩の挿絵を描いたり、竹久夢二が女性雑誌の表紙を飾ったりしています。もうちょっと下ると、平田弘史が描いた武士漫画が貸本になったり、手塚治虫が便所で連載漫画を描いたりします。生憎、記憶だけなので、詳しいことは書けませんが、ま、その最初といってもいい時期に「滑稽漫画」はあるのです。
ま、それ以前にも、鳥獣漫画とか膝栗毛があるわけですが、明治期にしかも個人で1万部の新聞を売りさばいた(というか人々が買った)ことは、「評価」に値するのかもしれません。
さて、内容の方なんですが、日露戦争以前は、罵倒&嘲笑もの。それ以後は、色気&言葉遊び。
罵倒の方は、いんちき薬屋の「野口茂平」をつるしあげたり、さらし首にしたり、肝癪玉を頭から飛び出させたりしています。あとは、連続の面白さ、しつこさが売りです。
色気の方は、字義のままで、ちょっと大人っぽくエッチな絵。あとは言葉&活字にこだわったタイポグラフィな絵。自前の広告の模写や、文章のくり返しが主です。
なんで、日露戦争を境にこうも違うものなのか。赤瀬川さんも書いてますが、「周りの人がそれほどノってくれなくなった」からなのかもしれません。日露戦争は、ロシア革命によって日本が勝ったと言っても過言ではないでしょう。それをホントウに「勝った」と思った世間に同意を求めなくなったのかもしれません。ま、これは俺の勝手な解釈なので、真相はわかりません。当時の知識人に云わせれば胡散臭い奴だったそうです。でも、一万部ってのは、今で云えば十分なベストセラーなんです。
さてと、ひじょーに日記らしない、俺の書評日記(ま、そーいうタイトルだから仕方ないんだけど)、紀田順一郎「日記の虚実」(ちくま文庫)を読んで、ますます訳がわかんなくなっています。
update: 1996/08/09
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