最近、俺の読書傾向が変わってきました。ま、もともと「変わっている」と云ってしまっては、おしまいなのですが、「濫読」ではあるものの、無闇な「濫読」がなりを潜めはじめました。その、一段と幅が出てきた感じ。ま、さらなる「濫読」傾向には違いないのですが、子供が欲しがるおもちゃのように、「あれもこれも、とにかく何でも」という切迫感というか脅迫観念が無くなってきています。少なくとも、俺にはいい傾向です。「大地に足がきちんと着いている感じ」(この感じは、ひかわきょうこの「荒野の天使ども」を読むと解ります。)と云いましょうか。
こういう時期は、古典を読むといいんですよね。新しいものよりも、古く、ある程度評価が落ち着いているものが良い。本を読むというのは、その時期があります。その時期を逃してしまうと、一生出会えない本もありますし、理解できない、または、間違った評価を下してしまう本もあります。そういう、「出会い」というか「縁」というものは、大切であるし、敏感であって欲しい。また、俺は敏感でありたい。そして、「貪欲」でありたい。
俺は、そういうものだと思うけど。わかりにくいでしょうか?
さて、本日の一冊は、「魂にメスはいらない」は、河合隼雄と谷川俊太郎の対話集です。とはいえ、サブタイトルが「ユング心理学講義」となっているところから、どちらかと云えば、河合隼雄の著作としてもいいかもしれません。呼び捨てにしてしまったけど、心理学の名誉教授です。大学時代、阪大に講義に来たときに、船井と一緒に聴講しに行きました。それ以来ですね。「心理学」というものに真面目に興味を持ちはじめたのは。
心理学というと、フロイトの方が有名ですね。ま、別にフロイト自身が悪いわけではないのだけれど、生噛りの知識といいますか、そういう生半価な知識を売り物にして心理学を使っての「いじめ」をする本が沢山あります。夢の中での、男根思想や女陰羨望、潜在意識による異常セックス趣味、などなど。俺としては、「いじめ返す」ために、ある程度のフロイト的心理学は知っています。こういう論理武装は、ま、時には必要です。知っておいて損は無い、という程度でしょうか。
ユング心理学の場合、そういう人間の分析・対物化というものとは、別に、心理病理者のカウンセリングが重要な位置を占めます。ノイローゼなり、トラウマなり、異常心理なり、そういったものを無くすことは出来ないまでも、改めて「対面」させることで、自分なりの解決を自分なりに発見していく方法。そういうものに心魅かれ、共感を覚えるのは、ま、俺の俺たる由縁です。
そういう、自分との対面、つまり、「再認識」ですが、俺はよくやります。しつこい性格というのは、このへんに原因があるわけで、これによって迷惑を掛けた方は数知れず。そのうち、なんらかの形でお返しができると思っています。長い目でご覧ください。
えー、この本を紹介したわけは、ま、ユング心理学と河合隼雄という人物を紹介したかったわけですが、この本の中で、「我が意を得たり」という部分が非常に多く、そして、俺が自己流に(俺の人生ですから)得てきた部分のほとんどが書いてあるという、なんという遠回りな人生であったことか、と思う部分が多かったからです。ま、そーいうのも、たまにはいいかもれません。
全部紹介してしまうと、この本、まるまる書き写すことになるのでやめますが、一言だけ抜き出しましょう。
河合隼雄と谷川俊太郎の会話です。
これは、ユングが言っているんですけれども、現代人の曼荼羅は中空なのが多いんです。というのは、自分が曼荼羅を作る場合を考えてもらったら一番よくわかると思うんです。何を置きますか。
置けないです。置いたら非常に浅墓な曼荼羅になるだろうと思う。もし置くとすれば、中空の丸でしょうね。
やっぱり、中空ですよね。そうでないものを置くということは、非常に決定的なことでしょう。
はあ、腰砕け状態の俺。
でも、文庫本の発行日を見てちょっと安心。1993年だから、そんなに昔ではないですね。