書評日記 第104冊
イソップ寓話集 イソップ
岩波書店

 はい、俺は、久しぶりに、家で独りで日本酒を飲んでいます。「天神」という純米の4合壜なのですが、一応、博多産。とかなんとか云って、今日は、酒の味なんてどーでもいいのです。巷に酔いつぶれている人がいますが、俺もそーなってみたいかなー、と思って飲んでおります。
 でもねぇ、俺、酒に強いのか、はたまた、酔った途端に眠ってしまうのか、その辺、よくわかんないんですけど、頭は半分明晰なんですよねぇ。いや、普段の言動の方が危ないのかもしれない。酔っていない時も、酔っている時も、「稀Jr」という存在は危ないです。お気をつけ下さい。諸君諸嬢よ。

 えーと、全くの私信。この日記読んでいるかどうかわかんないけど、敢えてメールを出すのも恥ずかしい(?)し、ということで。
 「ここは誰」のわっちゃん、気になっているんですが、返事を出しておりません。その、なんでありますか、以前より、会ってみたい人の第一候補なのでありますが、なかなか、そのタイミングというものが、いずれ御会いしたいということを記しておきます。ま、飲みに行くとすれば、きちんと、日本酒で、ということで。
 あと、今日、俺が「出鱈目メール」を出してしまった方へ。いや、なんというか、単なる「吐き出し」なんで気にしないで下さい。後で読んだら、「詳しくは云いません」とか書きながら、やたらに「詳しく」書いてしまいました。はうー、でも、気持ちがすっきりしたことに感謝致します。いや、自分勝手な話ではありますが・・・。

 さてと、本日の「日記」の部分は、このくらいでおしまい。この程度が限界じゃないかなぁ、「毎日更新」という部分は。

 本日の書評日記は、イソップ「イソップ童話集」(岩波文庫)です。
 これ、通して読むものではありません。だから、当然、速読のような方法論が効くわけでもなく、思い出したときにぼちぼち読む本なのでありましょう。ま、俺の場合は、本棚に入れてしまうと、未読であろうと、読んでいる途中であろうと、その本が行方不明になってしまうので、2度と(と云えるほど)出会うことはありません。
 本棚の海へと放浪する文庫達・・・なぞと、詩的表現を使いたくなるのは、酔っているせいです。

 「イソップ童話集」は、御存じの如く、必ず「教訓」というものが末尾にある。昔の大抵の童話がそうなのだが、子供に語りかけ、そして、子供なりの思考を育て、かつ、大人社会のひとつの「わだかまり」の部分をまだ、幼い意思に伝えるとう行為を目的にしているのではないか、と思うときがある。それが、最後に書いてある2、3行の「教訓」である。
 尤も、この「教訓」が非常に胡散臭いことは認める。あくまで、イソップ童話としての、ある指針として、かつ、キリスト教の望む姿として、その「教訓」が存在し、付加される。そういう、大人の自分勝手な行動、まだ、自己意思を持たない、または、人格形成という時期が終わっていない子供に対して、いいか悪いかはどうあれ「先入観」を持たせてしまうことは、どうか?と思うのであるが、ま、それほど、深刻になることではあるまい。

 あ、今、無意識に寝ていた。
 やっぱり、俺の場合は、酔うと寝てしまう、面白くないパターンです。

 ま、そーいうことはヌキにして、「イソップ童話集」を通読してわかるだろうと思えるのは、「現実」を童話に織り込むことの大切さ、ファンタジーというものは決して夢物語ではないということの大切さ、そういうものを再認識させてくれる。
 うー、眠いので、今日はこんへんで、おしまい。

update: 1996/09/09
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