書評日記 第106冊
一週間の休暇も今日で終わりです。いろいろありましたが、本当にためになる一週間でありました。最近、「本」を喰い物にするに飽き足らず、「ひと」でさえ喰い物にしているような気がします。そんな自分が時に恐ろしくなることがありますが、「やりたい事」をやるためには、仕方のない過程なのかもしれません。
俺の人生、なるべく他人に合わせて、波風立たないように生きてきました。陰でひっそりと生きていきたい、と思っていました。
でも、そんなつまらない人生は俺には似合わないと気付きました。わかるでしょう?自分をつまらないと思ってしまった人には、つまらない人生しか残されていないのです。「きっかけ」というものは、奪い取るものだと思います。一時だけ、目をつぶって、奪い取る。そういうものだと思います。
奪われた人は、どう思うのでしょうか。俺にはよくわかりません。かわいそう?いや、結局何もできないことの方が「哀れ」です。だから、俺は、「奪い」ました。目をつぶって、奪ってみた。その結果、得たのが、今の俺です。
さて、本日の一冊は、あの「おたんこナース」の原作、小林光恵の「ナースがまま」(KKベストセラーズ)です。
以前、新聞紙上で、ひと悶着あったものです。佐々木倫子の漫画「おたんこナース」は、小林光恵の「ナースがまま」をもとネタにしているのに、漫画では、原作者名が書いてなかった、とかなんとか。原作料が支払われてない、とかなんとか。このテのやつは、ドラマでもありましたね。いつだったか忘れましたが、デーテーペーな日記で書いてありました。あっちの方は、もろに盗作であったわけだけど。
双方、どういう決着がついたのか、俺は知りませんが、「おたんこナース」の第3巻には、原作・取材として小林光恵の名があります。原稿料の配分は知らないけど、それは、双方が個人的に解決するものですから、俺がどうこう云う筋合いはないでしょうし、するつもりもありません、・・・ま、云えたらばの話ですが。
俺のいとこに看護婦がいます。そういう関係からか、医療については、ちょっと思うことがあります。
医者とか看護婦とかは、患者に接する時は「聖人」であろうとするわけなんですが、彼らだって人間なわけでしょ。いろいろストレスを抱え込むわけですよ。この本にもあったのですが、彼らのストレス発散は、異常なものがあるそうです。毎日、「死」というものに対面しなければならない恐怖、患者の病状に関らず、冷静な判断を求められる冷酷さ、常に安心・希望を求められる医療という異常な世界。そういう、諸々のストレスが「露見」すると、医者や看護婦はどうなるのでしょうか。
いつまでも、彼らの「好意」に甘えていていいものか、と考えることが時々あります。彼らの「奉仕」は、なにが原動力なんでしょうか。彼らの「仕事」に対して患者は、または、患者となる人は、何を報えばいいのでしょうか。そもそも、医療というものは「仕事」なのでしょうか。
帰りの電車の中で、読んでいて、泣けてきました。ふと、ブラック・ジャックの一場面を思い出しました。全身、癌に犯された女性がいました。彼女を愛する男性がいました。彼と彼女は、彼女の「死」の前に「結婚式」を望みました。
ブラック・ジャックは、怒りました。「そんな儚く偽りの幸せがなんになるのか!」
俺、その話の結末が思い出せなくて泣きました。悪い予感が起こりました。よく考えてみました。記憶の奥底を探ってみました。そうしたら、思い出せました。
ブラック・ジャックは、彼女の癌を全て取り除きました。何十時間もかけて手術をしました。誰もが投げた匙を、彼は拾い続けました。すべての術式を終えて、彼女は、生き残りました。それを思い出して、涙が止まりました。悪い予感が消えました。
ブラック・ジャックのやったことは「仕事」なのでしょうか。手塚治虫の描いた漫画は「仕事」なのでしょうか。俺の「やりたい事」は「仕事」になるのでしょうか。そして・・・。
恩返しはいずれしたいと思います。
だから、今は、黙っています。
update: 1996/09/09
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