書評日記 第149冊
星界通信 山田章博

 ふと昔の日記を読む。そう、書評日記の最初の頃はインターネット自体にわくわくしていた時期だった。そうなんだよなあ、誰の最初の日記を読んでいてもさ、最初の部分ってのはなんか妙なおどけとか気恥ずかしさとか、人を意識して自分を創っている感じのものが多い。いろいろ企画を考えたり、いろいろ試してみたいことがあったり、まさしくそれは「楽しい日々」のはじまりなわけだ。
 俺が一番最初に読みはじめた日記というのは和佳ちゃんの日記だった。まあ、漫画が好きだったし、そういうアニメ絵にも慣れていたし、まだまだ、インターネットの世界では絵を書ける人が幅を効かせていたし、絵がある方が楽しくて面白いものができるわけだ。そう、俺もBBS出身(?)だから、顔マークとか、妙に自分を作ったりしてはしゃいでみせるのはそう難しいことではなかった。今でもやろうと思えばできるけど・・・そんな気にならないのが不思議だ。人との付き合いかたなんてものは誰に教えられるわけでもなく、そうやって色々自分をカモフラージュしたり、偽ったりしながら、自分の気持ちを盛り上げてなんとかして人と仲良くやっていこうと思う。そういう気持ちは大切だし、それは社会生活を楽しく過ごす上で大切なことだと思う。
 インターネットだって、仮想空間でありつつも、HPを作っているのは人なわけだから、罵倒されれば怒るだろうし、誉められれば嬉しいと思う。別に何をしようという目的も無ければそれでいいのかもしれない。少なくとも、こんな俺のように独りになってしまうと、まあ、手の下しようがなくなってしまう。本当は、なあ、仲良くやっていきたいと思うんだけど、どうしてか途中でそういうものが嫌になってくる。というか退屈になってくる。

 高校の時に仲のいい友達がいた。久保君とは仲が良かった。家も近かったし、漫画の趣味も同じだったし、数学や物理に興味があるのも同じだったし、帰りはいつも一緒だった。
 とある日、俺は彼にこんなことを云ってしまった。
 「こういう下らない話ではなくて、もっと実りのある話がしたい。」
 彼は何を言われたのか分からないようだった。俺はまずったと思った。

 大学になって一度だけ彼の下宿に行ったことがある。山田章博の漫画が好きで、当然(?)俺も山田章博の絵が好きになった。そう、あの頃がずっと好きだったわけだ。必然なる偶然というものはあるもんだと思う・・・ま、これも個人的な話だけど。
 で、彼の下宿に泊まったけど、何を話したのか覚えていない。高校の頃、いろいろ話したような気がするけど、まるっきり覚えていない。ただ、まあ、楽しかったことは覚えているし、パソコンの面白さとか、言葉遊びの面白さとか、数学パズルの面白さとか、そういうものを教えてもらった。余談であるが、彼の父親も大学教授であった。うーむ、これも偶然だな。

 久保君とは、高校時代唯一の親友だっといってもいい。そう、俺の場合、ただ一人の親友がいればそれでいいのかもしれない。不思議なもんだが、俺のその時代その時代には、一人だけ親友がいた。それ以上でもそれ以下でもない。
 人と付き合うのが苦手というか、引越しが多くて、自分の場所というものがどこにもないところに放り込まれる。そういうのを繰り返してしまった結果、俺は集団の中で自分という存在を極力消し去るようにしてしまった。なぜかよくわからないけど、存在感が薄いのは確か。無意識のうちに何時いなくなっていいような用意をしているのかもしれない。そんな気がする。

 山田章博は、最近は神話に凝っているらしい。その奇妙な絵柄に惹かれるのは何故だが良く分からないけど、不思議な雰囲気をもつのは確かなこと。
 ファンタジーの漫画ってのは持っていない。ファンタジーの小説というのも読んではいない。そう、あんまりそのテのものを読まない。なのに何故「日記物語」なんていう神話を書き始めたのだろうか。よくわからないけど、まあ、自分で書いていて面白いのは確か。
 自分で書いて面白いのと人が読んで面白いのとちょっと別なんだけれども、自分の創る神話の世界には「夢」を託したい。どろどろする世の中だから、まあ、俺には退屈な世の中だから、せめて自分の創る神話の世界ぐらいは楽しくして「夢」をもってそれを満たしたい。

 かつて、インターネットを巡って、いろいろな「夢」を描いていた俺は何処に行ってしまったのだろうか。二度と戻れない日々を思い出して、淋しくなるのは無駄なこと?

update: 1996/09/09
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