書評日記 第164冊
マリリン・モンロー 秋山ジョージ
講談社

 名言がある。
 「女は全て娼婦かもしれない。」
 確か半村良の小説の科白だっと思う。
 
 現代社会はイコール男性社会である。女性の進出だとか女性の地位の向上だとか、なんだかんだ云っても、総生産の大部分は男性が叩き出している。稼いだ「金」は何に使われるのだろうか。ストレス発散に酒を飲み、ばか騒ぎを繰り返す、女を抱く。また、女性は、自らの体を男性に捧げることで、「金」を得る。それは酒場であったり、売春であったり、男性に媚びることで「金」を得る。
 かつての俺は、そういうものを嫌悪していた。女性を「金」で買う男、そして、「金」を得るために男性に体を捧げる女。そういう、身体に絡んだ売買関係がすごい嫌だった。だから、「娼婦」という言葉自体にすごい嫌な感情をもっていた。

 ただ、今は、ちょっと違う。
 良いとか悪いとかいうんじゃなくて、少なくとも、男女の関係というものは、そういう売買関係の根底なのかもしれない。
 「快楽」を与えるという点で、女性は先天的なものをもっている。その身体そのものが男性にとって快楽そのものであるわけだから、他に必要がないわけだ。だから、俺から見ると彼女の行動は、すべて「娼婦」に見える。自らのみに向けて欲しいその行動を、他に向けることは、「娼婦」の行動なわけだ。もちろん、それは、俺の「嫉妬心」だったり、「独占欲」だったりするわけだが……。
 もちろん、彼女だって一人の人間だし、俺だって一人の人間だ。だから、何をしたっていいわけなんだけど……。うーむ、俺は何を彼女に求めているのだろうか。セックスなのか、愛情なのか、かまって欲しいだけなのか、果たしてそれは……、未だによく解からない。
 まあ、そう思いつめない時は、相手を自由に見ることができるんだけど、相手の独立を望み、相手が楽しいことを望み、そして、相手が幸せであることを望むわけなのだが……、まあね、こういう時は、「泣く」ことに決めたので、ちょっと楽。涙を流してしまえば、かなり楽になる。所詮、男ってのは、社会のおまけなのかもしれない。何も与えずに、何も創らずに、刹那的に何かを求めているだけかもしれない。権力を欲したり、地位を欲したり、金を欲したりするのは、そういう「独占欲」を満たす虚しい行動かもしれない。まあ、それこそが、男性の行動原理なのだが……。

 そう、秋山ジョージの「マリリン・モンロー」を読んだ感想が以上だろうか。実は9巻までの娼婦編しか読んでいないので、その後の展開がどうなっているのか知らないのだが、まあ、これでも十分おもしろい。
 第二次世界大戦を仮想舞台にして、ドイツ軍は「狼」として描かれ、ユダヤ人は「犬」として描かれ、場所はヨーロッパを中心に描かれている。
 「書き殴り」の江口さんは、将軍の狂った言動に興味を持っておられるが、まあ、俺としては、やっぱり、マリリン・モンローを中心として読んだ次第。
 
 マリリン・モンローは、娼婦になる。金を稼ぐ。誰とでも寝る。快楽を与える。秋山ジョージは、男性が射精した瞬間を「北風ぴゅるぴゅる」と表現する。比して女性は「至福の表情」と表現する。

 あー、やれやれ。喫茶店でひとりでこれを書いている。
 誘いを断わられて、此処にいる俺。
 そして彼女は何処にいるのであろうか。
 まあね、こういう感情の「揺れ」も長く続ける上で必要なわけなのだが、うーむ。相当苦しいのは確か。

 今は、ため息しか出ない。
 会いたい、だけ。

update: 1996/12/07
copyleft by marenijr