書評日記 第178冊
コンピュータ・カオス・フラクタル クリフォード・A・ビックオーバー
白揚社
床屋に行くのは、あんまり好きではなかった。というのも、時間が勿体無いような気がしたからだ。でも、まあ、ぼさぼさの髪を短く刈り上げられて、こざっぱりした感じの自分が仕上がるのはいい感じである。
学生の頃、下宿の前の「さぎしま」という床屋に行っていた。
このおばさんが非常に腕の巧い人で、俺の髪質を良く知っていて、自分だとは思えないくらいぴったりな俺を演出してくれる。まあ、ずぼらだったから、いい加減髪が伸びてうっとおしくなった頃(2ヶ月以上か)に行くから、常にばっさりと切られる感じだったが。
別に値段で決まるわけではないけれど、今の床屋は3800円だ。厚木に1800円で刈ってくれる床屋があるから、倍以上の値段なのだけど、今は此処にしている。
固い髪に霧吹きをかけ、蒸しタオルで巻かれ、丁寧に鋏を入れ、髪が多いので隙いて貰って、頭を洗って、肩もみをして、顔を剃って、毛穴の汚れをとって、耳かきを入れられて、2時間ほどかかるけど、このゆったりとした気分は、やっぱり3800円出さないと味わえないのだとしたら、俺は出す。
別に難しい注文は出さないし、俺はこだわらない……というか、こだわる方ではない。ただ、「耳が出るくらいに」と一言云って、2時間黙っている。目を閉じて、時々うとうとしていればいいわけだ。
そう、女性の化粧とかも同じじゃないかと思う。
顔を創るわけだけど、自分が綺麗だと思う顔と、他人が似合うと思う顔とは、ちょっと違うかもしれない。
だから、専門家のセンスに任せてしまうのもいいと思う。彼らは「プロ」なんだし、他人から見た一番の自分を演出してくれるのではないだろうか。
まあ、勿論、センスの無いプロもいるわけだし、自分のセンスに合わないプロに無理矢理つくり変えられてしまうこともあるかもしれない。
だが、しっかりと自分の好みにあった美容師なり服飾店なりを見つければ、そのプロが最高の演出をしてくれるのではないだろうか。
それが「プロ」ってものだよね、お針子の貴女。
さて、実はこの床屋で、3時間待たされた。でもね、別にいいんですよ。今日は俺にとってのとびきりの本があったから。うん。
この本は1週間ほどあちこちの本屋で探していました。
俺の場合、めったなことで注文はしません。読みたい時に読む本、そういう本との出会いを大切にするというか、本屋に足繁く通うのはその出会いを大切にするためでもあります。
「ゲーデル・エッシャー・バッハ」、「サイエンティフィック・アメリカン」に並んで置いてありました。しかし、高いよなあ、5900円します。でも、買ってしまうのは、やっぱり読みたいからだし、必要だと思うから。
で、床屋の待ち時間で読んでいたのだけれど、俺にとって、フラクタル&カオスのコンピュータ画像を見ているのは、なんだがエロ本を見ているのと同じような気分になるのに気が付いた。
すごいエッチな気分になるのは何故だろうか。
カオスというのは、簡単な数式で表わせられつつも、一見複雑とも見えるパターンを生み出すという、先の「複雑系」の元になる理論です。
まあ、なんというか、自然界の本質の部分を見せられているという感覚がするのではないでしょうか。
あれから、カオス理論も進んだらしく、1次元の線として表わされていた音声のパターン認識を、2次元の絵として捉えることで、視覚的に解かり易い方法を模索しているようです。コンピュータに興味があり、理系な方にはオススメの一冊なんだけど……ちょっと高いか。文系な方はどうなのだろうか。決して全てを理解しようとしないで、いいと思う。その変換の鮮やかさに見惚れて欲しい、といったら、うーむ、あたかも女性を紹介しているような感じになるけど、まあ、そんなものなんです。俺にとって好きな「本」というものは。
「螺旋」と「反復」は、やっぱり俺の人生で重要な部分を占めていると思う。
そういう意味で、俺は「カオスの縁」を歩いているような気がする。
そう、子供の頃には無かった(?)生命線が今はあります。
それに勇気づけられるのは、ははははは、俺が白痴に近づいている証拠でしょうか。よくわからんけど、自分の運に感心する次第。
update: 1996/12/29
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