書評日記 第308冊
ポポイ 倉橋由美子
福武書店

 生首が科学技術によって生き続ける話。

 小説というジャンルがこういう文章を排除するのならば、これは物語というジャンルに分類されるのだと思う。ただし、ジャンルという分類分けが無意味なものであるとするならば、これも小説となる。
 童話だから読まない、ファンタジーだから読まない、ミステリーだから読まない、純文学だから読まない、ということはないと思う。興味が赴けば其処に至るし、読んでいる途中でそういうジャンル分けが無意味なものでしかない。少なくとも、最近の私は分類をしない。分類されるべきものは「ウソツキ」でしかない。

 何を語ろうとするのだろうか。生首でも生きるという、脳味噌だけで身体がなくても生き続けるという科学が作り出した「人間」という定義の怪物を描き出そうとしているのだろうか。科学を悪魔とみなし、進み過ぎた科学を、そして、それを使いこなしてしまう人間という存在の尊大さを揶揄しているのだろうか。
 「パルタイ」を読んだ時に思ったのだが、彼女の著作には積極的に描かれているものは無いと思われる。とあるシュチュエーションがあって、そこに人が居て、やむなくそれらの場面場面をこなしていくしかない登場人物達が描かれる。著者の主張でもなく、登場人物の主張でもなく、その作品を読んだ人が自分の心の中に染み渡るものを「もの」として確立させるところに、彼女の意図があるのではないだろうか。
 そう、「一体、あなたはこの物語を読んで、出来事を知って、どう考えますか? どう行動するのですか?」という問いかけに答える姿勢を求められるような気がする。

 生首である「ポポイ」の最期は腐って死ぬ。世話をしている「私」は、スーパー・ノヴァである青年ではなく、佐伯と結婚する。
 そう、物事は動揺しない。

update: 1997/06/03
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