書評日記 第414冊
聖なる予言 ジェームズ・レッドフィールド
角川文庫ソフィア ISBNISBN4-04-269301-6

 裏表紙に『魂の冒険の書(スピルチャル・アドベンチャー)』とし示してあるように「癒し」を中心にした本だと思う。ただし、自費出版であるところから新しい分野(?)で主張されているには違いない。だが、結果としてペストセラーになる。多分、これはアメリカという土地に巣作ってしまった精神的な疲弊を表わしていると思う。だから、解説にも書いてあるのだが「文学的な評価」はさほど高いものではない。
 私の場合、この文庫本を去年買ったままほって置いた。それからずっと本屋に平置きされている『聖なる予言』というタイトルが気になっていた。買ったことは買ったのだが、何処にいったのかわからなくなっていた。それが、『ソフィーの世界』を読み終わる頃に会社の引き出しの中にあるのを発見した。
 「欲しいものは向こうからやってくる」と云うのは本当の話で、何故ならば、欲している状況に居る時しか自分の欲しいものに気付くことは難しい。欲しいと思っているからこそ、それが実際の「もの」となって手に入った時に一番欲しかったことに自分が気付くのである。これが共時性の本質である。単に後からの理由付けに見えるかもしれないが、結果なしに原因は存在しない。また、結果があるからこそ原因を模索しようとする。「ボールが転がって来た方を向く」ソフィーの言葉はただしい。

 結局のところ私は「癒し」に戻って来ている。かつてほど「癒し」という用語に過敏に反応することはなくなった。本屋で「癒し」を主張する本がなんとなく見当たらなくなった。本当のところは私がそれらを必要としなくなって来ているだけに過ぎない。
 あいにく『聖なる予言』を私は『ソフィーの世界』ほどアクティブに読むことができなかった。ともすれば、43歳の著者と同じ経緯を辿って来た智恵(または英知)への想いが同じだからこそ、あまり躍動的ではなかったのかもしれない。

 厳しい言い方をしよう。未来のための私に残しておこうと思う。
 はっきり言えば、『聖なる予言』が売れる社会状況というものを私は信用ができない。口当たりの良い「9つの写本」やら、最近出版された『十番目の予言』やらという形で手に入るものではない。これはジェームズ・レッドフィールドが知を得たことを否定しているのではない。彼は得たかもしれない。だが、彼の描く物語によって共感できるものが出来あがるとは云えないし、まして、それを読んだからと言って知を得ることができるとは云えない。どちらかと言えば、ベストセラーを渇望するマスコミの扇動がなければベストセラーは生まれない。少なくとも、キリスト教の浸透していないこの日本で『聖なる予言』が売れること自体が疑わしい。アメリカであれば別であろうが。

 とは云え、『聖なる予言』を読み、ひとつの拠り所を得た人達を否定するわけではない。その人達は、とある「きっかけ」が必要だったに過ぎない。

 文学でも小説でもない。フィクションとは云え、心の中に浸透してしまえばフィクションではすまされなくなるものがある。そういう意味では危険度が高いかもしれない。啓蒙されたい人には薦められない本だと思う。

update: 1998/2/8
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