書評日記 第474冊
ベル・エポック 逢坂みえこ
集英社

 30歳というのは微妙な年齢である。無心に夢を追いかけるほど子供でもなく、かといって、夢を諦めてしまうほど大人でもない。不惑の歳には遠いわけだから、まだまだじたばた出来る年齢なのではあるけれど、とある分別と許容力と経済力と我侭と恋愛と結婚という未来が目の前にちらちらし始める頃である。まあ、恋愛はともかく結婚は別問題ではあるのだが、『ベル・エポック』はそんな30歳という年齢を軸にしてオムニバス形式な漫画である。
 
 所詮、漫画の話であるからリアルにも非現実的にも作れる『ベル・エポック』なのだが、登場人物たちの社会的な立場はさておき、ストーリーの根底に流れる作者・逢坂みえこの心理的な視点はとてもリアルである。
 と、ひとむかし前、脱少女漫画雑誌(青年誌と云っていいのかな?)が性付きの恋愛と不倫と出産に明け暮れていた頃、浮ついた男女雇用機会均等法と敢え無く費えてしまった女性の社会進出は、保守的な男性社会に架空の進歩主義を取り込むだけ取り込み、そして夢と散ってしまったように思える。その代わり、もっと現実にマッチした形として、現在30歳という年齢を境に幼少時代の男女平等の理想教育はいま花開いてきているように私には思える。
 それは、とある人は保守的でありつつも、とある人は別の考えで行動するという、多層的な社会の中で生きていくことが各人ができるほど日本という国が豊かになったからに他ならない。一億総国民という時代は過ぎ、「サブカルチャー」という便利な階層化と、年齢別にさほど若さを売り物にしない落ち着いた若者文化が日本経済に育ち始めたということに他ならない。
 いわゆる不倫、いわゆる主婦、突飛な行動とアバンチュールを夢描く平凡な現実生活の補償を求めてしまう思想が固定化してしまった年代とは異なり、ともかく自分自身の中に毎日を過ごせる場所があり、惰性ではない継続と積み重ねによる安定した生活を持っている階層が増えてきた、ということが『ベル・エポック』の存在・発生理由であろう。ただし、社会に出れる女性と出れない女性の差別化は如何ともし難いのだが…。

 ただ、私として『ベル・エポック』が抜群だと思うのは、音無と綺麗が部屋でほか弁を食べるシーンが頻発すること。女性が料理を作る、または、進歩的な男性が料理を作る、というのではなくて、仕事が忙しいときは部屋で二人でほか弁を食べてもいいのである。内田春菊も云っている。「二人して疲れているときは掃除をせずに寝てしまう」
 つまり、仕事を持つ二人の生活というのは合理的になることでもあり、家事役割分担という固定化された家庭とは全く違った視点で暮らしを見つめることなのである。

update: 1999/02/04
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