書評日記 第518冊
臓器農場 箒木蓬生
新潮文庫 ISBN4-10-128806-2

 箒木蓬生のプロフィールを見ると、東大仏文卒→TBS入社→九大医学部卒→精神科医→作家、ということになる。異例といえば異例なプロフィールは彼の実力が並々ならぬものであることを示しているのだろうが、遠回りをしなければ辿り着かなかった作家という職業を目の当たりにせざるを得ない。先日、NHKで人を7年毎にインタビューして7歳から42歳まで追っていく番組があった。番組の主旨としては、「ひとはどこまで成功するのか、どのように成功していくのか」という啓蒙的なものであったのだが、何故か素直に、頑張ってみようと思えるようになったのは、このような決して順調ではない――別の視点では順調と云えるのだろうが――作家のプロフィールに気付き始めたからである。
 
 精神科医ということで、必然的に河合隼雄、加賀乙彦、北杜夫と比べることになる。『閉鎖病棟』でもそうだったのだが、一見、文章がたるい。特に『臓器農場』は、無能児を使って臓器移植を進める病院、というインパクトのあるテーマを扱っているにも関わらず、同じようなテーマを扱ったサスペンス仕立ての病院小説よりもストーリーはゆっくりと、むしろ、冗長に進められる。むろん、これが作者による主人公・規子の感情・決心・恋慕を読者に着実に伝える方法なのかもしれないが、サスペンス小説としては失格である。
 が、『臓器農場』はサスペンス小説ではない。「単なる娯楽小説に留まらない」という定型句を避け、「考えさせる小説であった」という感想も避ける。そういう意味で、『臓器農場』で出てくる二人の殺人事件は、無能児からの臓器移植、という一大問題を、直面する問題として著しく揺らがせている不純物のような気がする。尤も、殺人事件が起こることによって、エスカレートした臓器移植=病院の金儲け、多大な報酬のあるところに不正がある、という公式にスライドしていくのだが、読者は読了後に、殺された無能児、陰惨な隠蔽工作、金銭を巡る不正行為、という絶対悪を目の当たりにさせられるために、「臓器移植」というテーマが薄らいでしまうと思う。いまひとつ、どっちつかずのスタイルが、この小説を長すぎる小説(610頁ある!)と思わせてしまう。――しかし、長い小説であるにしては、二日で読み終えるほどの興味を持続させてくれる。いや、臓器移植という重たいテーマを幾日も考え続けたくないために、早く読み終えようとする。

 実は片側で『家畜人ヤプー』を再読している。このために、やや醒めた印象を『臓器移植』に持ったのかもしれない。冒頭の部分は、北村薫の小説を思わせる優しい書き口である。厳しいことを云えば、北村薫の小説が何処か薄っぺらな印象を拭えないのに対して――それは、読みやすさ、現代風の暖かさに比例しているのかもしれないが――、箒木蓬生の二冊目を手に取るのは、気になる作家という範疇に入れているためかもしれない。

update: 1999/08/14
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