書評日記 第550冊
黄色い髪 干刈あがた
朝日文庫 ISBN4-02-260568-5

 誰もがふつうに生きているわけではないけれど、積極的にドロップアウトをするほどふつうなわけではない。だが、いじめとか学校に居づらくなってしまった者にとって、「学校にさようなら」することで一足先に──という言い方をしてもいいと思う──巣立ちを経験するのも生き方のひとつであろう、というのが『黄色い髪』を読んだ後の第一印象であった。
 『黄色い髪』で描かれる中学校という場は、学級崩壊ほど惨めではない。けれども、ちりぢりになり得ないムラ社会に窒息してしまう少女の姿が描かれる。干刈あがたの言葉には嘘が少ない。中学生である主人公・夏美、また、母親としての主人公・史子の二つの視点から描かれる日常・非日常は、商店街の中にある美容院という場を舞台にして、実に現実らしくそして静かに進められる。そこに含まれる混乱を干刈あがたの文章は史子の気持ちに完全に寄り添い、忠実に戸惑う。優等生の母親、いじめが学級にあることを息子から知らされる母親、かつていじめにあっていた女の子の母親、美容院に従業員、かつていじめられ今いじめている女の子、〈陰湿な〉という形容詞だけでは片づかない問題、そして片づけられない問題と生活とを少しずつ解きほぐされていく。
 最終的に夏美は高校に行かないことを前提にして中学校へ戻る。中学をでていなくても、中卒でも生きていけるという前向き(あるいは楽観視?)な形では終わらないこのストーリーは、妥協ではあるけれども、ひとつの学校がすべての学校を意味しないこと、自分の居場所は目の前にある唯一のものではないこと、しかし、逃走ばかりでは開かれないものがあるということ、疑問を持ちながらもそれを保ちつつ過ごすのが実に難しいことであること、に至る。

 干刈あがたの小説には嘘が少ない。いや皆無といっていいと思う。常識に流されない、しかし、反対だけを称えることはしない。極端に走らず決して前衛的ではないけれど、地に足の付いた確かさを思い出させてくれる。それでいてひとつひとつの問題を熟視して熟考した結果が、この形なのだと思う。

update: 2000/03/22
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