書評日記 第573冊
アメリカの夜 阿部和重
講談社 ISBN4-06-207173-8
ストアドプロシージャが200個以上になることが判明する。これは以前のプロジェクトで大石君が作った数の二倍以上になる。規模的に倍以上だからそれ相応の数に上ることは覚悟していたけれど実際勘定してみて結構な量に驚かされる。しかし大学の頃に何もやらなかった時期があって今思い返しても何も積み重なっていない時期がありそれを今更どうこうする気は毛頭ないのだが対して今の私がひとつひとつの仕事を仕上げていくことに驚く。あまりにも中途半端で漠然とした未来への夢を持ってそれだけに頼って結果を出さなかった頃。広末涼子伝説が二十歳にして早くも失墜(人気回復の裏側)という芸能ニュースを見ていると、何処まで平凡に緩やかに上昇し僅かな快楽に身を委ね僅かずつであるも自ら産み出していかなければ瞬く間に現象してしまう日常の基盤を思い知らされる。最近は一日一日がゆっくり流れる。良いことだ。
「アフリカの夜」は古くて新しい文学だと思う。次に「草枕」を読んで気付いたのだが、夏目漱石が写実的な西洋文学に対抗する形で書かれた日本の〈型〉というものを「アメリカの夜」にも感じる。
阿部和重のデビュー作であるから拙い部分も多い。多分、全体を見通さずに書き始めることに価値を置きジャッキー・チェンの武道論で始め、自分の中で何かが閃いた時に徐々に文学という劇場の世界へ身を委ねて行ったような気がする。その分、前半のエンジンの掛かりが遅く、中盤がピークで、終盤にして脱しきれなかった失速感が残る――当時にどのような評価を受けたのか私は知らない――のだが、中盤まで著者・阿部和重がSを語りSが仮像を語るというメタ構造を著者自身が極端に意識することなく真剣に取り組んで行った経緯を評価したい。そのために着地点としては異常な人として評価される仮像に結末を置かざるを得なくなってしまうのだが、そこは破裂した虚構を描くのが目的ではないし、年期と技巧の要る場所なので今後煮詰めれば良いところだと思う。
Sがエスに通じるのは当然として、著者自身の映像を小説の中に埋め込むのは非常に個人的な作業ではあってもなかなか疲れる仕事には違いない。むしろ時間の流れに任せる形でストーリーを組み立てていった方が語ることも考えることも少なくて済む。しかしそれらが極端に圧縮された形ではなく(イコール学術タイプ)解きほぐされつつある糸しかしほどけない意図のまま個人と世間との境界を彷徨うのは必要なことだと思う。
終盤はラッパがぶかぶかぶーすかのパレードに近い。弾け飛ぶと筒井康隆になる。着地すると「アメリカの夜」になる。そうそう「ヴァリス」が出てくるところがにくい。
所謂JPOP文学ではないと思うのだが、平野啓一郎とも違う。島田雅彦が「何も無い日常を書き綴る最近の文学には飽きた」と云っていたけど、これはどちらに入るのだろうか。
update: 2000/07/22
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