書評日記 第608冊
道具づくし 別役実
ハヤカワ文庫 ISBN4-15-050247-1
「あうんじゃく」は江戸の頃に口の大きさを測った定規である。「あ」と口を大きく開けて最大径を計り「うん」と口をすぼめて小さく計る。昔は「うん」と口をすぼめてもふさがらない人がいたのでそれを確かめるための医術の道具であった。ただ、女性にとっては「あ」と口を大きく開けたときに径が大きいと恥ずかしいので「え」と少しすぼめてみせて口が小さいように誤魔化している人も多かった。
と聴いたのは高校生の頃のラジオドラマであった。
「こだま」は《おおだま》よりも比較的ちいさいものを言う。しかしもちろん、《おおだま》の大きさというものがの数量的に確定しているわけではないから、どこまでが《おおだま》でどこからが《こだま》かというはっきりとした基準があるわけではない。これ以外に《ちゅうだま》という言い方もあったのだと主張するものがあり……。
と引用されていたのは河合隼雄の「うそつきクラブ」だった。
「こんにゃく」って何に使うか知っている? 実は踏みしだいてストレスを発散することに使っていたらしい。そうだよな、こんにゃく芋をわざわざ練って味のないものを拵えてただ食べているのも変な話だし、踏むのも悪くないかもしれない。え? どこに書いてあるかって、この本に書いてあって……
と真剣になって人に話してしまったのは私だ。
私は「はし」の章に来るまで分からなかった。なんで「うそつきクラブ」に引用されている「こだま」の話がこの本に載っているのか気になっていたものの直接つながることはなかった。
呑気といえば呑気だし、危ないといえば危ない。サンタクロースの存在を小学校五年生まで信じていようと、W・C・フラナガンの「奥の細道」を疑いもしなかろうと、「徒然草」はトリップしたときにこそ真の味わいがあると説いてしまおうと、罪がないからいいか、と開き直っておく。
以上を踏まえていけば、「鼻行類」や「平行植物」に通じる面白さが見えてくる。「家畜人ヤプー」とか「妖星伝」とか嘘で塗り固めたものから嘘しか産み出さないという徹底さがある。空想から出てきたものは空想へと返す閉じた世界。「どこか現実への真実を示しているような」という評は絶対出てこない荒唐無稽さ。
「架空の」というのはそういうものだろう。そんなふうに純粋に現実から逃亡しなければ見えて来ないものがある。それを「現実への〈真実〉を垣間見る」と定型で示したくはないのだが、手垢に汚れた現実世界の真実ではなく、数式のように「在る」というだけのものが想像の先にはあるような気がする。
もっとも、そんなことを考えずに楽しむのが一番なのだが。「なんだ嘘か、つまらん」と思って「嘘」と分かって諾々と読んできたものをひっくり返されて座る位置をずらして読み進めてみたものの、別役実特有のノリにはフィクションだろうとノン・フィクションだろうと形への面白さは変わらないのだった。
update: 2001/03/14
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