書評日記 第623冊
ブッダの夢 河合隼雄、中沢新一
朝日文庫 ISBN4-02-264262-9

 中沢新一のオウム真理教擁護の発言が今どれだけ尾を引いているのか私にはわからない。というか、当時の彼の発言を私は知らないので何とも云えないのだが、冒頭にある中沢新一から河合隼雄への挨拶を見るとマーケティング的にはどうあれ精神的には相当参った状態になっていたことは確かなことらしい。
 河合隼雄が日本のユング心理学の第一人者、中沢新一が先進的な宗教学者――彼が中央大学「教授」であるとは知らなかった――という立場で会話をする。河合隼雄との対談といえば「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」という対談集もあり、心理学の重鎮というか片方にフロイト心理学者・岸田秀を置きつつも所謂「分析」ではなく「治療」(あるいは治癒)として、臨床の現場に誘われる、という形になる。
 「対談」という形になっているが中沢新一の宗教的な部分はあまり表に出ていない。前半は河合隼雄の箱庭療法の話、後半はアメリカインディアン(対キリスト教、対外来としての仏教)神話と進められる。ただ、今眺めなおしてみると仏教や密教、チベット密教の話が続いているから、ユング心理学だけに偏っているわけではないらしい。
 
 おそらく直前に河野貴代美著「性幻想」(中公文庫)を読んでいるためか、男二人の会話から女性が欠け落ちているような気がしないでもなかった。正確に云えば女性性で、ユング自身の女性体験や聖書の話になると、やや一方的な男性二人からの視点からしか語られていない、と感じることもあった。
 しかし、一応弁護しておけば、この対談は極めて彼等二人の個人的な興味から出発し、読者に語るとか何かを詳しく突き詰めていこうとかインタビュー形式とかに囚われずに進められている。このために、自分の立場から自分の思っていること、疑問に思っていること、こうではないかと日頃漠然と想像していることを言葉に出して確認しあっている部分が多いので、セクシャルティへの配慮が多少欠如していても仕方が無いことかと思う。また、自然ではないかと思ったりする。
 そんなところから十分に日本的に二人は会話を続ける。ユング心理学が西洋発端である限り西洋の歴史・論理から逃れることができない。東洋(あるいは日本)から相対的に見た西洋の脅迫的な独立精神は緩やかに集団と交じり合う日本の社会には馴染みにくいし、なんらかの神経症を発病させたときに治療法(社会への適応手段)は全く正反対なものになりかねない。だから或る意味で「土着的」な神話を日本人は必要とし、同時にかつて畏れられてきた仰圧が国際化によって一気に取り払われてしまうことによって生まれる世代間の溝、平均と偏差を混同した画一化、に「土着」側からの解決方法をひとつひとつ再発見しなければならない。
 
 この対談集は「仏教」から出発してパイのこね方まで辿る。多少、中沢新一のバタ臭さならぬチベット臭さが気にならないでもないが、たくさんのトピックスを含んだ派生しやすい枝葉のある対談集に仕上がっている。
 鈴木大拙著「日本的霊性」、宮沢賢治著「毒もみの好きな署長さん」、「土神ときつね」、デプレッション(仰鬱症)、サクリファイス(犠牲)、レヴィ・ストロース著「アスディヴァル武勲伝詩、ユング著「ヨブへの答え」、霊性、夏目漱石著「道草」。

update: 2001/04/03
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