書評日記 第646冊
博士の愛した数式
小川洋子
新潮社
ISBN410401303X
ルー=ガルー
 小川洋子は今一番旬な作家なんだそうだ。『博士の愛した数式』は半年前に読んだのかな。サティの4階にある本屋で「書店員が一番に勧める本」というのに惹かれたパターンだった。最近の書店POPは生き残りの賭けての方策で、レコ屋のCD売り場に一押しのコメントが細々と書いてあるのに似ている。書店員も個性化を売りにする時代なのだ。
 
 記憶が80分しか持たない数学者という設定は、オリバー・サックスの本を読んでいるようでいて、物語の中では特に奇異な印象をあたえない。今の記憶を次の記憶へと伝えるために、背広の袖に付箋をたくさんつける風景は、かつて、小学生のころ先生に聞いた、朝来ると必ず自己紹介から始めなければいけない少年の話と同じなのだ。80分間の記憶は、少しずつの重なりで起きている間は持つのだが、夜寝て朝起きると忘れてしまう。博士があまり苦悩しないのはちょっと、という感想をamazonで見たのだが、全体に風景画として描かれている小説でもあり、外的な起伏を必要としない(であろう)数学者という内省的な性質もあって、「記憶を失う」だけでは苦悩しない。いや、忘却するということに対してごく自然に振る舞うことが、かの生活でもあり、残された自由でもあるから、あれこれと悩むというよりも淡々と数式を解く生活という風景が似合いでもある。
 そういう淡々さの中にルートという少年が舞い込み、感情の起伏ができるところがこの物語の魅力だと思う。「子供は早めの夕食を食べなければいけない」と博士の家で食事をするように呼ぶ。子供の目から博士の姿は奇妙でもあり、また好奇心を満たす友達でもある。その感覚は、家政婦として雇われている私とも違い一種嫉妬めいた部分もみつかる。三人で野球を見に行くというイベント、その後に来る短縮された記憶時間、そういう時間の流れと本を読み進める流れとが一体になるようなゆったりとした気分が『博士の愛した〜』にはある。そういうところで、本を読みきる、本を愛する形での書店員には好きだなあと思わせるところがあるのかもしれない。
 
 一種、破局で終わってしまう物語は、博士の姉(だったかな)という現実性が家政婦とルートと博士の間に割り込んでしまった、楔のような感じも一時はするのだが、養老院で姉と会話をする博士の姿を見れば、目の前を通り過ぎた一つの美しい数式が柔らかな刻印をして人として残されている、という疎外でもありひとつの思い出でもあり、生きていくということはこういうことかもしれない、という感触を得るような気がする。
 映画になるそうだが、『電車男』と『インストール』と比べてどんな雰囲気になるか楽しみである。見るかどうかはなぁ、まだ決めていない。
update: 2004/12/24
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