歩道の脇に住む浮浪者
渋谷の私の通勤途中に浮浪者が住むようになったのは去年の春のことだった。静かにコートを脱ぎ捨てじめじめとした日本特有の梅雨の時期が来るまえに彼はホテルの前に陣取った。もちろん、ホテルの真ん前にいればあの身奇麗なドアマンに足蹴にされるのだろうから、ホテルの前の脇にある建設途中の塀の脇に住むことになった。はじめは彼も身奇麗な、しかし、身よりのない、初老の男たちと同じ薄汚い厚手のジャンパーを着ていたが、序々にその服は汚れ湿気を帯び異臭を放ち始めた。なぜか彼は小雨の中でも浮浪者特有のダンボールで家を作らなかった。荷物はぼろ布が入ったようなぱんぱんに膨らんだビニール袋ひとつでこれといった財産を持たないようだった。ビニール袋を濡れるにまかせて、尻が冷たくならないように道の脇にうずくまり、目線を固定し続けていた。そのひざを抱えた姿はかたくなに会話を拒み教師の質問を拒否する生徒のようだった。実際、渋谷の駅前にたむろする陽気な浮浪者たちの中に彼は入らなかったようだった。入れなかったのかもしれない。ただ、一日が過ぎるまで、日がかげるまで其処に居座り続け、日が落ちれば其処で寝た。簡易アスファルトの上に体の横たえて一日を終えるのを待っているようであった。
梅雨の真っ只中、悪臭は最高潮に達する。怒涛のごとく降る雨が上がった後にまだ濡れているアスファルトの上に彼は座っている。さすがに雨の間はどこかに雨宿りをしたのだろう。一枚しかない(と思われる)ジャンパーは少し濡れてはいたが着られぬほどではなく、一ヶ月前と全く変わらない姿で道の脇に座っていた。かつての浮浪者特有の哀愁、バブルがはじけて不況の時代へリストラの嵐からはじき出されてしまい、家族といることもままならず一人渋谷の街中にやってきて金もなく職もなく日がな段ボールにくるまって寝ているしかない哀れな生活、そして、同情は彼の視線は集まらない。朝の通勤時よりも夕立の後に来る湿気とけだるさは彼を排泄物にまで貶めているような気がした。彼の顔は薄汚さよりも濃く疲労よりも深く染み付いている。梅雨と排気ガスと蔑視を日に日に受け、終(しま)いには視線を投げやることをも拒まれる、いや、目の端よりも鼻の奥を突き刺す単なる腐臭、腐敗物として打ち捨てられ、ひき殺されて内臓をはみ出させているねずみほども注視されない存在となりつつあった。そう、工事脇の臨時通路ではあってもひとひとり住みこんでいれば多少なりとも邪魔もの扱いされ、段ボールで作られた定住があれば撤去されるなり強制保護されるなり警察の厄介になろうところだが、彼の所有物はひとつの大きなビニール袋のみ。朝には会社に夕方には家へと急ぐ通勤する者たちにとって、鼻先を掠める悪臭に一瞬がまんすれば、なにも面倒なことは起こらない。いや、面倒なことにはならないのであった。
一日一日毎日同じ道を通って私は会社へと行った。朝、彼は歩道の脇で毛布を被って寝ている。こっちが働いているのに彼は寝ているのか、いい気なものだ、とは思わない。哀れな失業者とも思えず、社会に組み入れられない彼は渋谷の浮浪者の社会にも参加することはできないらしい。雨の日にも身を濡らすことなく地下道に陣取る段ボールの家を持つホームレスたちに比べれば、私も彼もずっと哀れなように思え、ずっと近しいように思えた。それは私自身も社会の波に乗り切れない弱さを持ち、身勝手なわがままと己のちっぽけな才能にしがみ付き、まったく安定しない足元をそのままにして毎日を過ごしている、そんな誰もが持つ典型と自己撞着を共通させているような気がしたからだ。かといって、私は彼のようにひとつの石のように道端に座り込むこともできない。そうしても何かが良くなるわけではない。雨の中に傘を差して歩道を通れば彼はひとつの荷物ともどもいない。彼の唯一の財産を持ち歩き何処かで雨宿りをしているに違いない。しかし、其処は地下道のような完全に雨風をしのぐ生活の場所ではない。どこかの家の軒先に突き出たちょっとした枝葉の下に佇んでいるに違いない。
それは、ある雨の日の昼のことだった。段ボールを持たない浮浪者の彼は、定住の場所から消えている。雨が上がってさほど服を濡らせてはいない。だが、完全に乾いているわけではない。汗と洗わない身体からの汚物よりも更にむっとする都会の雨の身に纏って彼は定められた位置に座っていた。そう、昼休みに私が弁当を買いに出たとき、彼は家の軒先に佇んでいた。雨をよけるならば渋谷の地下道に逃げ込めばよい。大抵のホームレスがそうしているように、段ボールでなわばりを区切り生活圏を主張し最大のプライベートを都会の垢から掘り起こして禁治産者特有のプラカードをおったてれば良い。だが、彼はそうせずに、ブロック塀からちょっとばかり突き出た枝の下に頭だけを潜り込ませて立っていた。足元の一点を視線をさまよわせることなく見つめ、大方そうやって数時間も立ち続けているつもりなのだろう。通行者である私に目も向けず無視することなくただただ雨が上がるの待ち、待ったところで何が来るわけでもないが、再びあの歩道の脇の定位置に身を沈めるべく、彼自身のために待ちつづけていた。何をそこまで依怙地にならなくても、と私は思った。だが、浮浪者仲間にすら入れない彼の本質を知った。職を失ってもなお誰かに泣きつくこともできない彼の姿、孤独だとか孤立だとか孤高だとかいうそんな若者向きの小説にはあり得ない完全に後ろ向きな態度、そうならざるを得ない姿を見るしかなかった。だれかに誘われれば何か変わるかもしれない、もう一度やり直しをしてみよう、そんなことを考える余裕も気力も最初から無く、ただ耐える辛さを知らずにじっと耐え、無口に自分の足元の雨粒を見つめる姿は、救われない怒りも苛立ちも尊敬も軽蔑も受け付けない唯一の姿である頑なさにみえた。
梅雨が明けて夏のある日、彼はうなぎ弁当を食べていた。コンビニエンスストアーの袋からうなぎ弁当を出して黙々と食べていた。歩道の脇に座り弁当をうまそうに、顔は見えなかったが丸まった背中は明らかにうれしそうに、食べていた。働いて得たもののような気がした。普通、浮浪者は期限切れの弁当とか、公園のごみとか、マクドナルドの新鮮な残飯とか、半分以上残した期限切れのウィスキーとか、を食べているそうだが、彼は違った。この二ヶ月間彼がものを食べているところは見たことがなかった。最初の頃心底疲れて歩道の脇に膝を抱えて座り込んでいる彼に比べれば、ジャンパーは雨と都会の油の染みがつきまだらになり、顔は疲労や年輪よりも厚く塗りたくられた垢によって黒ずみ、指は他の浮浪者のそれに習い、座る姿もひとつの景観を為しているように見えた。週に一二度工事現場での日雇いの仕事を探し、仕事にありつけなかった日には寝て次の日を待ち、飢えて痩せぎすになることも無ければ、悪い風邪をひいて寝こむこともない。吹きさらしの雨風を遮るものは一枚のジャンパーだけだった。しかし浮浪者一年目にしては上首尾と呼べるような生活に見えた。だんだんと世間の目が気にならなくなり己だけの世界に閉じこもることを是とする。そんな若者の成長を思わせた。だが、そんな理想的な演出や結末が彼に用意されているわけではない。あるのは補導もされなければ保護もされない撤去もされない身軽で且つ腰を落ち着けた歩道の脇があるだけだった。そんな中で彼は通勤人が多数通る中でうなぎ弁当を食べていた。私でさえそう食べることができないうなぎ弁当を彼が二度ほど食べているのを目撃した。不思議とうらやましさもやっかみも軽蔑も覚えなかった。優越感さえなかった。願望かもしれないが、彼の姿がうれしそうに見えたからである。
少ないサラリーマンの夏休みが瞬く間に過ぎ九月も半ばになる頃、彼の周りに恰幅の良い主婦連の三人がいた。座り込んでいる彼の周りを囲み、彼の腕を引っ張り立たそうとしていた。「あなた、仕事はしているの」「そんな場所に居座らないで家に帰ったら」「仕事を紹介してあげるわよ」「いつまでもだらだらしていないで」「ほら、立ちなさい」「ほら」。ジャンパーの袖を掴んで彼を立たそうとしていた。だが、彼はうぅと唸って足を伸ばそうとはしなかった。女の力とはいえ主婦連が三人もいるのだから彼を引きずって行って渋谷駅前の交番に連れて行くことも可能かもしれない。だが、主婦連はそうはしなかった。単なるお節介ではないだろうが、都会のゴミである浮浪者を更正させて綺麗な渋谷の街を作ろうという意図があるには違いない。それとも、本当の意味での親切だろうか。どちらにしろ、歩道脇の彼は動こうとしなかった。暖かい家庭とも暖かい部屋とも暖かい好意とも無縁にやってきた彼の半年間、いや、ひょっとすれば彼の過去数十年はずっとそうだったのかもしれない、そういった年月に培われた彼の行為は第一に拒否することだった。とあるテレビ番組で渋谷の若者たちの間で人気のある浮浪者が出ていた。十五年間渋谷で浮浪者をやりつづけて再び職人への道へ戻ること社会復帰をすることを考えている。夜の渋谷の街でたむろする登校拒否の女の子に再び学校へと戻る勇気を与える。感動的なのか社会の屑なのかわからないワンシーンよりももっと現実的な不幸に彼は直面していた。人の視線を避け、目を見ることを恐れ、膝を抱えて、邪魔と無関係とがすれすれの歩道の脇で、段ボールで家を拵えることなく、何処かに戻る場所を求めるわけでもなく、自分をはじき出してしまった社会を恨むわけでもなく、徹底的な諦めとあと幾年いきるかわからない人生と膝を抱えて、建築現場の歩道脇に座っている。前進はない。だが、後退もない。だから、三人の主婦連に付いて行って暖かいスープを啜ることもしない。追従もしない野良犬の姿があった。
そろそろコートが必要と思える頃、彼は毛布に包まって寝ていた。相変わらず段ボールを持つことはせず、地下道に寝床を決めることもしない。建築現場を囲うステンレスの塀が本格的な北風を排除してこそすれ、暖をとる手段はひとつもない場所に彼は居座っていた。毛布に包まっていたのは、この冬を彼はどう乗り切るのだろうか、と私が思った矢先であった。寒い冬は幸いなことに彼の身体から流れ出る悪臭を押さえてくれる。よる夜中、わっと飛び掛っては何をするか分からない変質者の恐怖を彼にレッテル付ける。だが、酒盛りをしてセクハラを繰り返す中年男より彼は安全であろう。軽犯罪者にもなれない勇気の無さ。いや、段ボールで家を作ることも含めて、何も悪さをせず誰にも迷惑をかけず多少の腐臭と傍らの石にしては多少奇妙な造詣を除けば、彼は乞食よりも無害であり政治家よりも紳士である。つげ義春の「無能の人」になぞらえることもできようが、それは彼にとって迷惑なことだろう。私と彼の間は他人よりも遠く生物界の種が違うほどに遠く隔たって交わりはない。そう、私はどう足掻いても彼のように歩道の脇に座り込むことはできない。ましてや、この寒空の中に汚れたジャンパーの上に毛布を巻きつけて眠り込むことはできない。それは彼を軽蔑するわけでもなく尊敬するわけでもない。ただ傍らを走り去っていく野良犬の姿を眺めるのに似ている。彼の心情を私が慮ったところで何になる。無力であり足蹴にすることもできず警察に突き出すこともできない。ましてや助けようとすることなんてもっての他だ。
正月、北海道に帰省したあとの最初の出社の日も彼は歩道の脇に毛布に包まって寝ていた。凍てつくような寒さに耐えかねて震えるように首の周りにしっかりと毛布を巻きつけて生ごみのように転がっていた。雪の降る夜に半透明のビニール袋にかぶさるべたつく東京の雪のように彼の毛布の上には霜も降り暖冬とはいえ幾日かの氷点下の朝も彼は耐える意志なしに耐えているに違いない。この一葉の短編が彼という存在の証なのだ、〈意味〉なのだと大上段に構える必要もあるまい。完成した短編を彼に差し出すシーンを思い浮かべて悦に入る私。いや、そんな勇気は私にはない。「金閣寺」を書いた三島由紀夫が「いやあ犯罪者なんかにあんなことを考えることはできませんよ」と笑う声が聞こえる。それは苛立たしくもあり的を射ているようでもあり、真実分かり合えぬ二つの存在があることをいまの私は知っている、ただそれだけだ。だから、無理強いをして偽善者の領域に陥ることもあるまい。あの主婦連の三人のような無知で身勝手で勇気ある行動は私には起こせない。沈黙を守ったまま、また再び明日の朝になれば出社のためにあの彼の目の前を何食わぬ顔で通るだけに過ぎない。彼は二年目の浮浪者生活を続けるであろう。それは建設現場が取り払われるまで続くのだろう。
update : 2000/01/24
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