書評日記 第55冊
非Aの世界 A.E.ヴァン.ヴォークト
創元推理社
朝、ベネズエラの美男コンテストのニュースがあった。顔はニコニコ。胸板むくむく&てかてか。しかも、水着(よーするに海パンいっちょ)というなんともすさまじい光景をTVで見ていたのだが、ま、美女コンテストのパロディだと思えば、面白くもある。
で、その表彰式、一番にこにこした美青年に女性(当然、主催は女性陣である。)からトロフィーが渡されたとき、うちの弟曰、「美人だね。」、俺、「?」、再び弟曰、「なにも表彰する人は、美人でなくてもいいんじゃない?」。俺、納得。
実は、ぜんぜんやる気がないのだが、いつまでも変なものを掲げておくわけには、いかないので書く。(うーん、もう午前1時半、ちゃちゃと終わらせて、寝よう。・・・ま、これを読む人は、お昼なのかもしれないが・・・)
さて、本日の一冊は、ヴァン=ヴォークトの「非Aの世界」(創元推理社)である。これと「非Aの傀儡」はセットであるが、「非Aの世界」の方を先に読んだ方が良い。それより、先に「イシャーの武器商人」(だったと思うのだが)を先に読むべきである。というのも、俺は、この逆、つまり「傀儡」「世界」の順に読んで、「武器商人」の方はまだ未読であるという、へんな状態に陥っているからである。
ま、それはいいとして、「非A」の「A」はアリストテレスのことである。つまり、「非A」は非アリストテレスということになるのだが、それが強烈な意味があるのか、または、プレッシャーを感じるべきだったのかは、ディックを先に読み、志郎正宗の「攻殻機動隊」を先に読んでしまった俺にとって、それほどのインパクトはなかった。ま、ひとつの古典(?)として読むといいかもしれない、なぞと云うと、「ほんとに読んだのか?」などという声が聞こえそうだが、「読んだけど、あまりつっこむ気がなかった。」と答えるしかない。
多分、精神構造とかなんとかで読むとおもしろいのだろうけど、ちょっと飛ばし読みをしてまったらしい。この感じは、今日読みおえた篠田範子の「贋作師」にも云える。期待した分だけ、というか、まとはずれな期待をした分だけ、それほどの印象は受けなかった。ま、こういうこともあるか、というところであろうか。
いわゆる小説を読まない乃至あまり読まない人は多いと思う。小説というものは、そのエッセンスをうすくうすく伸ばしたものだとも云えなくもない。
じゃあ、なんで小説にこだわるのかと云えば、各種の思想書の方がうすくうすく伸ばされている、のかもしれない、なぞと、柄谷行人の「差異としての場所」を読んでふと思った。
当然、これは俺の考え&この時の気分であるので、なんとも云えないが、内田百間の「第二阿房列車」を読んでいる俺に断言するすべはない。
うーむ、眠い。ねむい時には「フィガネンス・ヴェイク」はいらない。
update: 1996/07/23
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