書評日記 第58冊
赤ちゃんが来た 石坂啓
朝日新聞社

 いわゆる妊娠本であります。石坂啓の「赤ちゃんが来た」(朝日新聞社)です。

 インターネットでホームページ作っている方々にも、親ばか、子ばか(「親」を自慢するという意味で・・・って見たことは無いけど)、いろいろいらっしゃいます。子供はかわいい、子供はむじゃき、子供は天使、なぞと云われますが、結婚もしてなければ、子供もいない俺にしちゃあ、牧瀬里穂主演の「つぐみ」の一場面(うっとおしくつきまとう子供をけつる場面)を思い出しちゃあ、にやにやしてるんだから、意地が悪いっちゃぁありゃしない。

 ま、そんなことはどーでもいいんですが、いわゆる「妊娠本」というのは、少女漫画家乃至それに傾倒する女性の方々が、ひとつの『卒業』として体験する大きな妊娠という出来事、また、家庭という安住の地を「自ら」にて築いてしまうキッカケとしての出産という大事業、という意味です。
 もちろん、俺も子供だったわけだし、赤んぼであったわけだし、誰しもがそーいう経緯の元にできた結果であるのだから、「出産」がわるいとか、「結婚」という制度を云々する(ま、「結婚」なしにも子は生まれ、育つわけですが。)資格も、また、される筋合いもないわけなのですが。しかし、何故かここ最近、「妊娠本」が目につくのは、女性の社会進出に対する同性からの「何か」と思うのは、俺が男性であるからなのでしょうか。・・・ま、「父親」でもない俺が、そーいう事を云っても説得力が無いのでありますが、いつもの「慣用句」ってやつです。

 さて、モラトリアム女性(大人になりたくない女性)が、いざ結婚、いざ妊娠というイベントに立ち会うと、いままで「少女」を装っていた人が一瞬のうちに「大人の女性」に変貌するといわれます。少女漫画を書いていた女性漫画家(当然、少女漫画を描いている男性漫画家を除くわけですが)が彼女等の年齢と共にレディースコミックという場に移るとき、SEXというものをどう扱っていくかが大問題になります。当然、少女漫画時代はSEX抜き(ま、最近は違うけど)であり、実生活もSEX抜き。そーいう方々が、いざ妊娠・出産というイベントを経るとなぜか途端に開き直ってしまうのが、なんとも不思議というか、したたかなところ。
 こういう点、「女性は体現できる」という点で「便利」と思うのは、まあ、俺がつねづね思っていることです。いわゆる、この「かんどー」を漫画のネタにできるという点で女性漫画家は「妊娠本」を次々と出します。
 ただし、石坂啓の場合、「安穏族」た「マネー・ムーン」の頃からすでにSEXありの漫画を描いていました。なのに、こういう自分のみの「かわいい」を中心としたモノを書くという心理というか、経緯というか、そーいうものが分からないというか。
 ま、それでもぶつぶつ言いながら、買って読んでしまう俺にとっては、おもしろい本です。石坂啓はほとんど揃えてあるし・・・。

 男性漫画家版の妊娠本ですが、江川達也の「タケちゃんとパパ」(スコラ)がここにあります。江川達也はいわずと知れた「Be Free」や「東京大学物語」で(激しく)エッチな場面を描かせれば随一の漫画家です。彼も、こういうものを描く。

 うーん、日本で赤ん坊がコンドームをふくらませて遊ぶ日も近いのかもしれません。

update: 1996/07/27
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