書評日記 第62冊
大御所ばかり続いて申し訳ないのだが、今日は手塚治虫の一冊「漫画大学」(角川文庫)である。
いきなり話は変わるが三島由紀夫の「花ざかりの森・憂国」を拾い読みした。この本は三島には珍しい(と本人があとがきで書いている)短編集である。俺が今日拾い読みをしたのは「卵」・「百万円煎餅」・「月」。彼が云うには、『出版社の意向でタイトルは「花ざかりの森」になっているが「中世に於ける」の方』が気に入っているとのこと。『「卵」は批評家から見向きもされない』が気に入っているとのこと。『「憂国」を読め』と云っていること。恐れおおいことではあるが、非常に彼を身近に感じることができた。いままで読んだものといえば、「潮騒」と「金閣寺」ぐらいなものだから、「読んだ」にしては少なすぎるので、それ程ギャップを感じたわけではないのだが、ま、ぼちぼち読んでみようと思う。
ちなみに、「卵」は安部公房風、「月」は稲垣足穂風である。読んではいないが、「中世に於ける」はダンヌンツィオ風なのかもしれない。
あとがきの日付は、昭和43年9月になっていた。彼の命はあと2年だったわけである。そう思うと、この調子っぱずれな後書きも何か感慨深い。
まったく個人的な話で申し訳ないが、手塚治虫といえばアンノを思い出す。大学時代の友人(?)であるのだが、医学部生であった。(俺の方が)音信不通なので今なにをやっているか分からないのだが、立派にマントをなびかせて精神科医でもやってるのかもしれない。俺がまるごと漫画どっぷりだったのに対し、アンノは丸木戸定夫というペンネームで精力的な漫画を描いた。あと手塚治虫に対して非常に批判的であった。「手塚治虫」と呼び捨てであった。ま、なんというか、生前から「歴史上の人物」としていたのか、それとも本当に手塚治虫のちゃらんぽらんでセンチメンタルなところが嫌いだったのか、今となってはよく分からないが、少なくとも俺にとって「絶対神」であった手塚治虫をよくもまあ、こきおろしてくれた。
はっきり云えば、当時は手塚治虫の漫画を「ブラック・ジャック」と「火の鳥」ぐらいしか読んでいなかった。だから、手塚治虫の批判的な部分を「批判する」ようなことはなかった。ま、アンノがどう思っていたかはこの際どうでもいいのである。今の俺は、それ以前の俺をつぶしてしまう位はなんてことはない、程度にはなったということに過ぎない。この辺、ずいぶん楽になっている。
さて、そういう目でみると、手塚治虫の漫画は「中途半端」なものが多い。これは、「ロストワールド」を推薦していた大友克洋の言葉でもある。あっちこっちに手を出し過ぎて結局なにも完成しなかったのかもしれない。特に絶筆となる「ファウスト」には、狂っている部分がある。人が死期を悟るとこういう現象を垣間見ることが多い。サトウサンペイが亡くなる数週間前の四コマもすごかった。社会批判がモロ出しになっていて、「こんなものを新聞に出していいのか」と思ったぐらいだ。
ま、「半端」であるにせよ、手塚治虫はいろんなことをやってきた。いろんなことをやって来たからこそ、「漫画界の神」としての地位を築いた。というか背負わされた。
折りしも、手塚治虫の死は、昭和天皇の死の1か月後である。これが何を意味するのか俺にはわからない。ただ、平成が続く限り「手塚治虫死後○年」と数えるのが「便利」と思うのは不謹慎な俺だけだろうか。
update: 1996/08/01
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