どっちょ〜ん、げろげろ。
「月下の棋士」の13巻めを読んで、むう。俺、漫画雑誌を買わなくなったので、こうやって単行本になってから読んでいるんです。ま、いいか。とりあえず、60頁かな、と思ったりします。(こうなると後から読んでも意味不明だな)
で、今日の一冊にするために買ったアルフレッド=ジャリ「超男性」(白水uブックス)を再読。大学2年の頃に読んだっきりで、スキャナしようにも何処に紛れ込んだんだがわかんなくなっているので、買いなおし、で、ついでに読み直しです。
俺としては、第5章の「一万マイル競争」が好み。蒸気機関車と5人乗り自転車が、競争する話です。人は腐るは、小人がはしゃぐは、呑気な自転車乗りが出てくるわで、まことにシュールなお話し。これを読んでから、競輪場に行ってみたのは、ま、俺の俺たる由縁。ちなみに、競輪選手ってのは現役時代が長いそうで、60歳の現役選手もいます。これが、B級で20歳そこそこの新米選手と走るンですから、競輪という競技、あなどれません。
さて、話を元に戻すと、「超男性」は「男の視点からみた」女性への妄想と偏見、偏愛、ものとしての見方、道具、機械、などなどに溢れています。女性に媚びるわけでなく、自分である男性を卑下するわけでもなく、そこには、人間としての「男性」の姿(理想像とはちょっと云いかねる)があります。
そんな章立ての中で、最終章の「愛の機械」は、俺にとってはちょっと感傷的かなあ、なぞと思い、解説を読んだが運の尽き。冒頭の結果とあいなりました。(普段はなあ、解説を読まないんですよ。)
解説の冒頭を引用してみましょう。
およそアルフレッド・ジャリ(1873〜1907)という作家におけるほど、芸術と実生活とが緊密に結びつき、不可分の一体をなしていた例は珍しいにちがいない。
はあ???となってしまった俺。
さらにその続きを引用しましょう。
彼の伝記は今日まで、どれをとっても本当としかおもわれないような、数多くの奇行の記録として語りつがれてきた。
ま、引用はこのくらいにして・・・あとは直接、「超男性」の解説を見て下さい。どうやら、俺は34歳で死ななければならないらしい。一万年は、どーしたもんかなあ、むう。
気を取り直して、と思ったけれど。あー、一言も書けないわ、こりゃ。
でもね、太宰治や、筒井康隆、つげ義春、でも、同じ感情をもったからなあ。なんだかなあ、言葉になりません。
それでもこんなことをやってしまう俺って、何者なんだろうか。