書評日記 第75冊
猫のゆりかご カート=ヴォネガット=Jr
ハヤカワ文庫

 BGMは、小野リサの「O MELHOR DE LISA」。普段は、BGMはかけません。だって、感傷的になるから。感傷的になれない、何故か、冷静な俺が哀れだから、無理矢理、感傷的になってみる。たまには、いいでしょう? こんな気分も。
 小野リサの語る言葉は、俺の知りようのない、南米の言葉。でも、気持ちが伝わってくるのは何故なんだろうか。同じ言葉を語っていても、気持ちが伝わらないのは何故なんだろうか。ギターの音色が好きです。ささやくような歌声が好きです。
 同じ気持ちになったことがあるのに、「悲しい時は好きな本にすがっていたい。」と同じ言葉を持っていると思ったのに、それは、同じ気持ちではなかったのでしょうか。無理矢理、感傷的になってみましたが、謝罪の言葉はなぜかでてきません。不思議です。なぜなんでしょうか。やっぱり、リンクは残しておきます。今のあなたが、本来のあなたではないと思うから。そういうことです。ただ、それだけです。

 さて、気分を変えて本日の一冊。カート=ヴォネガット=Jrの「猫のゆりかご」(ハヤカワ文庫)です。あまり、前に読んだので内容を忘れてしまいました。詳細は、実物に当たって下さい。
 ・・・で、終わったのでは、書評日記の意味がなくなるので、無理矢理、俺の感想を伝えます。聞き流して下さい。的はずれかもしれませんから。

 「猫のゆりかご」で俺が印象的なのはラストシーン。アイス・ナインを海に落として、びーんと凍るシーン。いきさつは、忘れてしまいましたが、それが印象的でした。
 あと、ボコノン教がとても好き。プエルト・リコの小さな島で、男女が裸足を擦りあわせて愛を確かめる。素足がエッチだと思ったのは、この時からです。弾圧されるんだよね。島民は靴を履かされる。西洋の靴は、とっても窮屈。足を閉じこめて、言葉を閉じこめて、愛を閉じこめる。王女様(だったと思うのだが)そっと、靴をぬいで、兵隊の素足に自分の足を重ねる。そんなシーンがとっても幻想的です。

 カート=ヴォネガット=Jrは、俺のペンネームの半分です。当時、アメリカの学生に絶大な支持を得たそうです。なんで支持を受けたのでしょうか。思うに、がしがしのハードSFに飽き&うんざりしてしまった、SFファンには、ファンタジーとも単なる法螺話ともつかない幻想的なSFが当時の心にマッチしていたのではないでしょうか。少なくとも、俺が、「猫のゆりかご」を読んだ時、そして、読んだ後の感想はそんなもんでした。

 えーと、誰も聞いてくれないので自問自答してみます。

 Q.何で日記を書くの?
 A.ちょっとでいい。自分の生きた証がほしいから。今日一日、生き抜いたという証拠が欲しいから。
 Q.辛いことはないの?
 A.辛いときもあります。でも、何故か、辛いときほど日記を書きたくなる。自分が、本当の自分がどこにあるのか、確かめるために。醜くなってしまった自分を清めたい。明日には明日の自分があるのだから、だから、今日の自分は、ここで終わりにしたい。だからこそ、辛いときこそ日記を書きます。
 Q.何故、公開するの?
 A.俺が今日一日教えられたものを、おしつけがましいけど、わかったことを、ほんのささやかではあるけれど、お裾分けしたい。楽しい時は、楽しいなりに、読んでいる人が楽しくなるように。悲しい時は、ちょっと悲しめに、気分を押さえて、ちょっとだけ。怒っている時は、押さえて。自分を押さえて、考えて考えて考えた上で言葉を見つける。そんな努力は必要だと思うから。
 Q.疲れている時は?
 A.んー、疲れているときは、寝ちゃうの。疲れているとろくなことないし。

 えーと、〆の言葉はどうしようか。
 小野リサの曲、聴いてね。やさしくなれます。
 (裏の声:書評日記なんだけどなぁ。)

update: 1996/08/16
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