俺の一番好きな作品がここにある。読者に語る作家シリーズの第4冊め、最終回は、モンゴメリの「赤毛のアン」(新潮文庫)です。
がりがりに痩せていて、赤毛で、そばかすがあって、ぼさぼさのお下げ髪、棒のような足。でも、「ニンジン」と呼ばれて男の子に向かっていく。なにかと想像ばかりしていて、自分の想像に喜んだり、また脅えたりもする。一生懸命で、活発で、生意気で、とりあえず反抗してしまうような、そんな自分勝手なところがある、アンが俺は好きです。
俺は、「かわいい」とかなんとか云われて喜んでいるよりも、活発で、勝ち気な少女が好きです。惚れた女の子は多いけど、なかなか惚れてはくれませんね。なぜならば、彼女達は、「自分のために」生きるのが精一杯だから。ま、俺も、自分のためという意識が強かったので、その、すれ違ったことは、多々あります。
ま、そんなことはどーでもいいのですが、モンゴメリの残した「赤毛のアン」という作品、そして、アンという「架空」の人物は、俺にとって、重要な位置を占めています。
読んだのは、浪人中なので、その前に好きだった女の子の理由は、「後付け」ということになるんでしょうが、俺が俺である限り、時間&空間はあまり関係ありません。ま、その後は、多少意識しているのかもしれませんが。
話を元に戻すと、なぜ、その「架空」であるはずのアンという人物像が俺にとって重要なのか。それは、単に俺の思い込みにすぎないのか。それとも俺の「妄想」にすぎないのか。それは、俺にはわかり・・・わからないわけないでしょ。
俺は俺を理解してないわけないじゃないの。俺はいつでも俺だし、いつまでたっても俺。俺にすぎない俺は、俺でしかない。
そうでしょ、あなたも本を読むとき、その本が好きだと思ったとき、それは「架空」であるから、「現実」ではないから、嫌いになる? 避ける? 違うでしょ。やっぱり、そこにあるものは「現実」なんです。単なる幻想とは違って、はっきりとした形を持った現実がそこには存在する。そういう瞬間があるはず。
だから、そういう「におい」を大切にする。本から漂う「におい」。その瞬間を形作る「におい」を大切にしなければならない。その瞬間に敏感にならないといけない。
そういう「におい」をかぎわける能力を磨いてください。
BGMは、矢野顕子「ただいま」より。
ただいま
ひとりの部屋は夕方はまっくら
いやだな誰もいないから いやだな
階段から手を振り駆け足してみたいね
テレビの角力の音とか聞きながらね
片手に夕刊つかんでKISSしたいな
あわてて転んであなたに笑われたい
ニャンニャンニャニャニャンニャンニャン にぎやかにして
ワンワンワワワンワンワン むかえに来てよ
みんなただいま むかえにおいで
みんなただいま 返事がないね
いつ頃かしらただいまを忘れた
自分の声が夕暮に盗られた
花束でもケーキやお茶でもひとりぶんで
ピアノを弾くのも邪魔するひともいない
ほんとはわがまま気ままが大好きでも
時にはあの頃みたいにケンカしたい
ニャンニャンニャニャニャンニャンニャン 迷い子の仔猫
ワンワンワワワンワンワン 迷い子の仔犬
みんなでおいで ふざけにおいで
みんなただいま ずいぶん待った?
ニャンニャンニャニャニャンニャンニャン 泥足のまま
ワンワンワワワンワンワン 走っておいで
おいしいものもたくさんあるよ
みんなただいま むかえに来てよ