書評日記 第121冊
平成維新 大前研一

 うはははは、上田完さん、誠にごもっともです。●●●●さんは、どーにもこーにもなりません。野原さんを攻撃しちゃったら一体何人の方を敵に回すのやら・・・う、俺も攻撃した口だから大きな声では云えないけれど。しかし、あのでっかいTV、野原さんには無用の長物のような気がするのは俺だけでしょうか。あんまり使ってないみたいだし・・・。

 と、俺がまだ大学生だった頃、そして、まだ「アナーキー」を宣言してなかった頃、そう、とある政治関係のBBSに入っていたわけです。「市民党BBS」だったと思います。所ジョージ似のトコロさんという方が主催をしていて、まじな話、市民レベルでの政治活動をしていこうというBBSでした。彼は活動的でありまして、本を出版したかったわけです。草の根BBSが盛んになりつつあった頃だったので(今はどうなんでしょうか、よくわからないけど。)BBSというネットワークを利用して、個々の政治的な関心を広めていこうという意思あって、出版の方も考えていました。「月刊宝島」に連絡をして、BBS内の参加者に原稿を募って、市民レベルから政治改革をして、その頃の政治の汚泥を拭いさろうという意欲が其処にはありました。
 ま、結局、なかなか上手くいかないもので、出版の方はぽしゃちゃった訳ですが、大前研一の「平成維新の会」のバックアップとして、個人レベルでの活動で、ビラ撒きとかをしていました。俺はね、ちょっと、フランス語の授業というくだらないものにうつつを抜かしてしまって、参加しておりません。

 そういう訳で、今回の選挙結果を見た俺としては、結局、小選挙区制は死票ばっかり増やして、大政党に有利な体勢を作るためだったんだなあ、と思いまして、あの頃を思い出すために、今日の一冊として大前研一の「平成維新」を送ります。
 さて、「市民BBS」が活発だったころ、そして、「平成維新」が出版され、大前研一が政治腐敗を称えていた頃、政治界はどうだったか、皆様、覚えおいででしょうか。まあ、「書評日記」を読んでいる方は、覚えているでしょう。そう、自民党が議席の半数をずーっと占めていて、リクルート事件等の汚職がぼろぼろ出てき始めた頃です。何故、そのような体勢になってしまったのか。何故、日本は事実上の一党独裁政を許していたのでしょうか。
 戦後の混乱より、日本が経済大国にのし上がるまでは、国民の一致団結が必要だった訳です。戦後、1度だけ、いや、自民党の分裂後を入れれば、2度になりますが、社会党が政権をとりました。それ以外は、ずーっと自民党が主権を握り、その中かから首相を選らんできました。混乱期というものは、そういう統制が必要なものです。じゃないと、余計なエネルギーを使ってしまい、自らの足を掬うことになります。自民党の一党独裁政は、確かに、日本の急成長を助け、現在の豊かな日本を作りました。その功績は認めます。しかし、ある程度、国民が豊かになり生活に余裕が出来た今、考えるべきところは、多様な価値観ではなかったでしょうか。いろいろな人がいて、いろいろな活動をし、いろいろな価値観を持って、それぞれが生きていく、そういう多様性のもとに人間とうものは「精神的な」豊かさを得るものでは、無かったでしょうか。
 経済急成長を遂げた日本は、速やかに、自民党を分裂させるべきだったと、俺は思います。そして、多様な価値観を政治・経済に反映すべく努力するべきでは無かったでしょうか。物質的な豊かさにうつつを抜かしてしまった、日本国民は、自民党を野放しにしてしまいました。支持政党が無いといいつつも、結局のところ、浮動票が名の知れた自民党に流れ、のんのんとした国民と、それを舐めた政治家を生み出してしまいました。日本国民は、あのリクルート事件を忘れたのでしょうか。首相の汚職、大臣の汚職、もう、汚職まみれで、手もつけられません。でも、結局のところ、彼らは彼らの儲けた「金」により、犯罪でさえも「金」で解決してしまいました。汚れた「金」で、彼らは牢屋に入らずにすんだのです。
 大前研一の活動のお陰か、国民が目覚めたのか、自民党は第一党の座から自らを瓦解することに引きずり降ろされました。その時、俺は、共産党に投票しました。何かが返られるかもしれないと思ったから。俺の一票は、何か意味があるんじゃないかと思ったからです。後にも先にも投票に行ったのは、これだけです。
 しかし、自民党は分裂したものの、後の処置が悪かった。いや、もう日本の政治は、高度経済成長の時に駄目になっていたのでしょう。国民も政治家も皆、その時に目覚めるべきであったのに。自主性のない教育制度からは、自主性のない大人しか育てません。カリキュラムに沿った授業をしてしまえば、それに沿った人間を育てるだけです。受験戦争は思春期の子供達を無闇に痛めつけ、構内暴力と陰湿ないじめにリビドーのはけ口を求めます。最近で、自殺する子供の遺書に、いじめっ子の名前が書き連ねてあります。いじめっこの人権なんて糞喰らえだ。死んだ子供の人権はどうなるんだ。テメエ等の親が、殺したんだ。何も云わず、ほっといた無能な教師が殺したんだ。一体、日本の教育は、日本の子供達は、そして、学生達は、一体、どこに行けばいいのでしょうか。個性を殺すべく教育を受けて育ってしまった、彼らはどうなるのでしょうか。
 ・・・あ、ごめん、なんか、熱くなってしまいました。いや、ちょっとね、俺等の世代は、構内暴力で発散した世代なんだけどさ、あの陰湿ないじめには耐えられなくて。ちょっと。
 さて、話を戻しますと、自民党はうまいぐあいに自滅しました。でもね、結局なんにも出来なかったわけですよ。連立政権といいながら、8党の連立では、何が決まるわけでもない、ただ、ただ、おろおろしてしまって、結局のところ、自民党と社会党が手を結ぶという、数年前に一体だれが予想しただろうか。そんな奇妙な事がおこってしまいました。
 手をひるがえして、社会党は、自衛隊を認めてしまいました。PKOを認めてしまいました。そんな混乱し、みながなよなよしてしまった政党群の中で、ちょっとマシなのは、共産党でありました。でもね、無理だね。あんな、ふにゃふにゃしたホームページ作って、国民におべんちゃら使ってちゃ。泣いちまうぜ、俺は。というわけで、政治界は混乱の度を増し、政治不信なり政治無関心の人々をただ増やしただけでした。

 そして「小選挙区制」の導入です。馬鹿じゃないの。どう考えてたって、これは自民党のような大政党に有利に働くに決まってるじゃないですか。自民党しか知らないような、選挙に行けば、自民党しか入れないような、主体性の無い組織票なり若者なりが、あちこちに散らばっているわけです。この制度が、弱小政党に有利に働くわけがないじゃないですか。既に、結果は見えていたわけですよ。自民党の大勝。呵々大笑。彼らの嘲笑う声が聞えるようです。技とも云えない、そんな稚拙な手段に、他の政党はうまうまと乗せられてしまった。そして、国民は何を期待していたのでしょうか。
 少なくとも、俺は、今回の選挙に期待するものは何もありませんでした。小選挙区制が導入された時点で、政治は再び自民党の天下となることは解りきっていいました。、「平成維新」は結局のところ、何の結果をも出さなかったわけです。

 俺が日曜日、何をしていたか、聞きたいですか?
 投票なんて行きませんでしたよ。あんな出来レースに誰が参加するんですか。楽しく休日を過ごしましたよ。友人と「夢」を語り合いました。俺の「夢」を聞いて貰って励まして貰っていましたよ。
 俺の「夢」は俺のやりたい事です。あなたはビジョンを持っていますか。未来の自分のビジョンを。日本は、再び頼れないものになってしまいました。日本に期待することはもうあまりありません。唯一、俺が期待するのは「日本語」です。俺の「夢」を支える「日本語」そして「文章」、「言葉」。これだけは、彼ら政治屋の思い通りにはさせやしません。
 それをね、ちょっと、思った次第です。

update: 1996/09/09
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