書評日記 第122冊
MESSAGE FROM M.C.Escher エッシャー
俺の本棚で一番高い本を取り出しましょうか。
大学時代、エッシャー展に行って、思わずどうしても欲しくなってしまった本です。1万円致しました。まあね、普段は、文庫本ばっかり読んでいるけども、たまには、こういう画集もいいものです。
久しぶりに、本棚の奥から引き出してきました。4冊組みになっているので、膝の上に置きながら、一冊ずつ説明しましょうか。
1冊めは、エッシャーの版画の時代です。
そう、彼のきびきびとした線は、版画の線なわけですね。木版の素晴らしいところは、その地の色である黒とそれに呼応するような白の部分です。普通に紙に絵を描く場合は、ペンなどで白い紙に描くので、主に白い部分が多くなります。ま、俺はおざなりにではありますが漫画を描いていた関係上、そういう白と黒の比率というところに敏感です。あまりペンで描きこんでしまと、単にごっちゃごちゃした感じになりますが、また全然描きこまないと、妙にすかすかな絵になるわけです。ま、もっとも、士朗正宗や大友克洋のように、描きこみつつも、なお、なぜか白さの残る不思議な画風もあるし、巷の少女漫画のように描きこみは少ないけれども、それで十分情景が表せるような画風もあります。ま、単に、俺の趣味から、見かけが白い方が好きなんですけどね。
えーと、そんな余談はいいとして、版画というものは、漫画とは逆に、黒地に白で線を刻むわけです。でも、そう、小学生の頃に版画を思い出してください。物の輪郭に沿って黒く線を残すために、周りを彫りこみませんでしたか?、そう、版画は、黒地に白で掘っていくけれども、それは、黒をより一層浮き立たさせるために彫り込むという、普通の絵とは逆でありつつも、黒の浮き出しを極めるという、誠に奇妙な芸術です。そう、エッシャーの彫り込みは、異常な程、繊細な感じがします。「中空の城」と「ボニファチオ、コルシカ」を見て、その版画の美しさに魅了された覚えがあります。
そういう、地であるハズの黒を白で彫り込むことで浮き立たせる奇妙な配置が、俺には妙に面白いわけです。
2冊めは、前半は木版の妙技が粋を極めてしまいます。あとは、リトグラフの手法を極めます。後半からは描写が、段々と抽象化していき、そして、デザイン化していきます。編集ノートに書いてありますが、まさしく「メタモルフォーゼ」であり、町並みが段々と単なる四角のブロックの積み重ねになり、最後には、人の組み合わせになります。いわゆる、タイル敷きの絵になるわけです。「空と水」のような、黒い鵞鳥と魚の組み合わせのような絵を誰しもが一度は目にてしていると思います。
そう、横幅4メートルもある大作「メタモルフォーゼ2」は、「METAMORPHOSE」という単語が、市松模様になり、トカゲになり、蜂の巣になって、蜂から、魚へ、そして鳥になって、ブロック、町並み、チェス版、再び市松模様になり、「METAMORPHOSE」に戻るわけです。以前、「エッシャー展」に行った時、これを見ているとね、大人達は、「ああ、こうやって変わるんだな。」って感心するだけですが、子供達は、非常に喜びます。指さして、右から左へ、そして、再び左から右へ、その変化を楽しむわけです。彼や彼女達にとっては、まさしく絵が動いているわけです。絵が変化している姿が見えて、とても面白いものだと感じているわけですね。俺もしばらく見ていました。結構長い間見ていたと思います。そういう感覚は大切ですから。
3冊めは、組み合わせの妙技が炸裂します。「爬虫類」という絵で、紙にかかれた蜥蜴の絵が、紙から這いだしてきて、ぐるっと回って、再び、紙の中に戻っていく。そういう絵を見た事があると思います。他にも「平面分割」のシリーズは、幾何学的でとても面白いシリーズです。そう、ぐるぐる決して登ることのない、また下ることのない永遠の階段を描いた「上昇と下降」は誰しもが知っているはずです。その無限循環が面白い。また、「円の極限4」と称して天使と悪魔の組み合わせを、円に敷き詰めているのは、限りある円の空間の中で無限を表現する方法であります。
まあね、この3冊めが一番ポピュラーであり、そして、一番エッシャー自身を表しています。こういうのが並んでいるとね、だいたい、2時間ぐらいは立ち止まって、ひとつひとつ眺めてしまうわけですよ。数学的に非常に面白いし、無限とか、くり返しとか、入れ子とか、そういう俺のテーマが詰っています。ま、「GEB」が俺のテーマなわけだし、こういう平面の中に無限を詰め込む技法というのは、なかなかそそられるものがあります。プログラマな俺としては、「再帰関数」が好きでね。スタック暴走とか、リストの繋がりとかを想像してしまいます。まあ、その辺は、おいおい、話しましょう。
4冊めは、これらの数学的な版画の説明です。下書きと習作がたくさん載っています。そう、解説にありますが、彼の版画をすべて数学が根底にあるというのは、ちょっと誤りで、彼はまず自覚した芸術家であり、そして、数学者ではなかった、ということです。何故に、このような「平面分割」や「球面」にこだわって、版画を作ったのでしょうか。まあ、俺が思うに、好きだったんじゃないの。数学ってのものは、得てして「美しい」ものです。ま、俺が理系だったのは、数学とか物理学の美しさに惹かれたところがあります。当然、エッシャーも知っていたし、そう、「GEB」との出会いは、まさしく、俺にとって「衝撃的な」出会いであったわけ。どうもね、あの頃がから、「無限」とか「ネスト」とか、そういう循環ものに対して異常な興味があります。
ま、ひとそれぞれでありますから、別に、諭すわけではありませんが。そう、ひとこと言わせて貰えば、何かひとつでいいから、のめり込めるものを作った方がいいと思う。ひとつだけでかまいませんよ。人生はそれほど長いわけではありません。まして、頭が働く時期はそんなに長くはありません。だからこそ、「探求心」ってのをさ、持っていたいと思います。ひとつ、そういう興味があれば、すべてはそれから発して、繋がっていくわけですよ。俺の本の読み方はそういうものです。どんどん、どんどん、繋がっていって、ジャンルを問わず、広がっていきます。そういうね、発端だったのかもしれない。「GEB」との出会いは。そして、エッシャーの版画を知るということは。
いかがでありましょうか、どう?、俺のエッシャー感が解りましたでしょうか。
ちなみに「エッシャー展」は、新宿小田急ビルで11月10日までやっています。
俺は来週の日曜日に行きますので、御一緒下さいませ。お待ちしております。
update: 1996/09/09
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