書評日記 第123冊
プラニバース A=K=デュードニー
工学舎

 インターネットは言わば、2次元の世界である。まあ、音も鳴るし、絵も動くようになったし、リアルタイムに会話もできるようになってきたわけだから、それほど単純じゃないかもしれないけど、ま、一応、モニターが2次元でやっているうちは、「2次元」という範囲で考えても問題はないでしょう。
 それに、コンピータのモニターは縦横で四角く区切られているわけだし、ちょっと幾何学的な言い方をすれば、、x座標とy座標があって、この2つの座標だけでひとつの「点」を構成すことになる。この「点」が2つあれば、「線」となり、3つあれば、「面」となるわけだ。もうちょっと詳しく云うと、実のところモニターというものは、一つ一つの点が集まっている「格子点」の集合であるから、厳密に言えば、線を構成しているように見えるのは、「点」の集まりなわけ。しかも、数学的な「線」とは異なって、見かけ上「線」に見える、とびとびの「点」の集まりなわけだ。この辺は、量子力学で云うところの、「時間と空間」の相関と似ている。いや、そのものだと云っても過言ではあるまい。
 そう、諸君諸嬢は、「ライフゲーム」というものをご存じだろうか。モニタのドットにあるルールを与えて、「点」の増減をある一定の規則かつ単純な規則に従ってのみシュミレートする、誠に単純なゲームだ。しかし、ルールが簡単なわりには、その「点=ライフ」の広がりは非常に乱雑に見える。だが、そこにはきちんとした「ルール」がある。 「グライダー」と呼ばれるものが、「点」の集合として発生し、それは、あたかも生物のように振る舞う。その形を多少変化させてつつも全体としては崩さずに、しかも、一定方向に動くわけだ。まるで「飛ぶ」鳥のようにみえるのは不思議だ。また「イーター」と呼ばれる植物も存在する。普段は、そこにあって、別に変化をしないのに、「グライダー」がその「イーター」に飛び込むと、まるで喰われたように見える。消滅したり、新たな「グライダー」を発生させたりする。そういうのを見ていると、ま、飽きませんね。本物の世界の投影を見ているような気分になる。

 「プラニバース」は、そういう2次元の世界を扱った話。まあ、SFといえば、そうかもしれない。理論的な裏付けがなかなか面白い本です。いわゆる、ハードSFの分野なんだけど、数学好きな俺としては、なかなか興味深い本です。
 背景は、コンピュータの中でシュミレーションをしているわけだ。大気の流れとか、水の流れとか、その他諸々。んで、ある日、そこに生物が発生したわけだ。彼とは、端末で話が出来る。彼はその世界を旅する。そういう、2次元の世界が繰り広げられるわけだ。
 2次元の平面の世界で面白いのは、決して「線」が交わらないことなわけだ。「線」と「線」が途中で交わってしまうと、「交点」ができるわけで、そうなると片方の「線」はもう片方の「線」を切ってしまうわけ。だから、交わることはない。そういう3次元では当たり前のようなことが、2次元ではまた違ったように見えてくる。芸術はすべて線の濃淡であらわされたり、岩がそれ程重くなかったり、道は一本しかないわけだから、向こうから人が来たならば、伏せなければならなかったり、戦争は死骸の積み重ねであったり、扉はぴっちり締めてしまうとすぐに窒息してしまったり、ま、いろいろ、3次元では思いもよらない世界がそこには広がる。
 いわゆる、「思考実験」なわけ、この本は。もし、2次元に生物がいたらどうなるか、というそれだけの設定、しかし、犯すことの出来ない法則性を持たせて、その中で物語を展開させるわけ。物語の広がりってのは、こういう、ひとつの法則に対して、想像力を駆使するものだと思うんだけど、まあ、そこは、なんなんと致しましょうか。ちょっとね、最近のファンタジーとか、SFが面白いと思えないのは、展開とか背景とかに凝ってしまって、結局のところ、一本筋が通ってないからなじゃないかな、と思う次第。ま、そこはそれ、「人それぞれ」という便利な単語もあるわけですし、そう、人それぞれの好みというものでありましょうか。

 いや、まあ、ちょっとハードSFのいい時代を思い出してみた次第です。
 数学的にもね、面白い作品でありますので、ぜひ、ご一読をお薦めます。

update: 1996/09/09
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