書評日記 第131冊
誰しも人生には必ず「暗黒時代」があると云われています。なぜならば、人というものは、自らというものに対して、対話する時間が必要なのです。この時、人は他人を退けます。自分というものをしっかり見つめるために、自分というものがどういう者なのかをしっかりと把握するために、人嫌いになって、何もしたくなくなり、そして、「暗黒時代」へと入ります。ある意味で、「反抗期」と同様なものかもしれません。そのテの教育文献には載ってはいませんが、どうも俺の体験も含め、ひとの話を聞くところによると、そういった、暗く落ち込んでしまう時期というものが存在するようです。「暗黒時代」という名称は、忘れてしまいましたが、とあるTVタレントが使っていた言葉でした。その時、非常なる共感を覚えたことが記憶に残っています。
俺の場合、漫研に入ってその蜜月を終えた後より始まります。漫画家を目指したとは口ではいうものの実情は悲惨なものでした。怠惰な生活態度が災いするのか、生真面目であった性格が災いしたのか、兎も角、徹底的にともいえるほど授業にでなくなりました。自分の中では既に大学をやめる決心をしていたものの、さして当てがあるわけでもなく、また、さして巧くもない絵とストーリーを抱えてまま、日々を過し、その自堕落な生活に埋没していきました。漫画家になるためには、ひとつひとつ絵の練習や習作の積み重ねが重要であることは知っていました。知ってはいましたが、身体がどうにも動きませんでした。今から思えば、自分との対話の時期であったのかもしれません。ある意味で、考えすぎな俺でした。際限無く気分は落ち込み、何をする気力も失せつつありました。
そんな中で、なにかしなくちゃと思い、とあるファーストフードでアルバイトを始めました。午後9時から午前4時過ぎまでの深夜メンテを含む作業でした。週3回程度入って、月に9万円ちょっとの稼ぎになったはずです。普通、アルバイトは学業の差し支えない程度にやるし、学校に行くという義務感があるので、それなりにやっていっている大学生もいました。ところが、俺の場合は、慢性的な栄養失調状態にあり、学業に対しての意欲を既に失っており、漫画家という幻想のみを抱いておりましたので、身体が深夜の仕事に耐えられませんした。午後9時にバイトに行き、午前4時にメンテが終わり、下宿に帰って寝ると午後5時頃まで寝ていました。暇つぶしに、ゲームセンターに行き、喫茶店に行って本を読み、時には友人と話をしたり、TVや、パソコンいじりを楽しむだけで、午前4時になります。その時間に寝ると再び午後5時に目覚め、同じくパソコンいじりをして午前4時まで、再び寝ると、午後5時に目覚め、夕飯とも朝飯ともつかぬものを食べて、午後9時のバイトに行く、そして午前4時にメンテが終わる。そういう、夜型でありつつ、本当になにもしない、ただただ日々を過しているだけの2日周期の生活が続きました。身体の疲れはとれず、気力は沸かず、本当にこのまま死んでしまうのではないか、何も出来ぬまま一生終えるならば、いっそのこと、と何度も考えました。ただ、幸いにも、その勇気もなく、両親と弟が悲しむであろう姿を思い描けば、決定的な事をすることは出来ませんでした。
毎日、そのような事を考えていたわけではありません。刹那的ではありますが、バイトをしていた事で、なんとか日々を生きていたような気がします。また、幸いにも酒に溺れることはありませんでした。美味い酒の飲み方を既に知っていたからなのかもしれません。ただ、そう、その代償なのか、バイト代は全てゲームセンターで使い果たしたような気がします。ヒドイ時になると、午後1時から午後9時まで、ずーっと入り浸りの日もありました。電子音の中に埋もれて、そして、百円玉をただただ、入れ続ける当時の俺の姿は、今思い出してもおぞましいものです。今でも多少その癖が残っています。幸い人の前ではしないようにしていますが、一人になると時々そうしてしまう自分がいます。それをしている目は、やはり、母親の云う通り、精気の失せた醒めた目なのでしょう。
そんな生活が2年程続きました。授業には週2コマぐらいしか出ていなかったような気がします。
ある日、その生活に終止符が打つ時が来ました。留年を2回繰り返し、これ以上引き伸ばしを出来る状況ではなくなりました。友人に云いました。「漫画をやめる」と宣言しました。彼は、怪訝な顔をしましたが、頷いてくれました。当時の俺のとってそういう宣言は重要でした。既になんの作品も描いていませんでしたし、練習もほとんどしていませんでした。最後のあがきをしてみましたが、気力が持ちませんでした。「やめる」と宣言したことは「夢」を捨てることでした。「夢」の無い俺は、単なる抜け殻になってしました。でも、ぼんやりと生きていくことはできると思いました。そういう普通の生活もいいかと思いました。そして、俺の「暗黒時代」は終わりを告げました。
本日の一冊は、坂口安吾「堕落論」である。これは、戦後、価値観を無くしてしまった若者達に絶大な支持を得た理論(?)である。日本の敗戦は、徹底的な価値観の破壊を行った。社会的にも政治的にも、日本人は、落ちるところまで落ち切った。そして、その徹底した堕落の中から這いあがってきたのだった。世相なり常識なり学歴なりプライドなり色々な価値観に縛られつづけることはない。一度、それら全てを排除してしまって、落ちる所まで落ち込んではどうだろうか。それでも人間は生きているし、そこからこそ這い上がってこそ、人は人間に成れる。そういう理論である。「芯」は思ったよりも強いものだと思い給え。君は君が思っているよりもずっと強いものなのだ。だから、堕落してごらんなさい。何かが見えてくるでしょう。
俺は、一体「暗黒時代」に何を掴んだのだろうか。再び、創作へと向かう俺は、同じ過ちを犯そうとしているのだろうか。いや、以前よりもずっと強くなった自分が頼もしく思える。以前よりもずっと経験を積み、堕落することを恐れなくなった自分、孤独に耐えられる自分、意思を持った自分、そんな自分を感じられる。一度挫折した道を再び歩もうとする俺は、一体何者なのか。「夢」を捨て、そして再び「夢」を拾おうとする俺は何者なのか。未だによく解らない。
ただ、云えることは、浪人時代、がんがんに強くなり、理想に燃えている自分に戻る感触が嬉しい。それだけを頼りにして、今を過している。
update: 1996/09/09
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