書評日記 第137冊
鬱でも愛して 内田春菊
実業之日本社

 今夜も雨です。夜久さんではありませんが、確かに今年の秋は雨が多いですね。異常気象とまではいわないけれど、まあ、何かが少しずつ狂っていくような予感なのでしょうか。
 そうそう、家路の途中、目の前に傘を差さずに歩くカップルが居りました。で、何を思ったのか、男性が田んぼの方に駆けおりて、立ち小便を始めました。んで、彼女の方は、彼の方を見て、待っているわけね。うーむ、俺は、なんというか、かんというか、妙な面持ちで傍らを通り過ぎるのでありました。
 よーわからんよなあ、恥じらいというものがないのでしょうか?

 恥じらいといえば、なんか、恥も外聞も無いような日記がありますね。女性なんだけど、なんか妙です。参考文献の「廃人」の方ですが(あ、「ブックマーク」にするのを忘れている)、その日記は、明るいのやら暗いのやら、愛なのか恋なのか芽生えたんだか敗れたんだか、ぜんぜん、よく解りませんけど、貰ったメールはごく普通でした。というか、うーむ、真面目な方という印象。会ったことは無いのですが、確かに、「オフミ」なんかでは、黙っていそうな感じ。2次会3次会で鬱憤晴らしのタイプなんでしょうか。
 そうそう、この日記で、自己突っ込みがたくさん出てきます。いわゆる、「<」記号を使った分裂ネタなわけですが、自分の気持ちを裏返して表す、または、自分の気持ちを曖昧にしつつそれを分析するのに役立つ方法です。そう、「対話型」というやつですね。それで思い出したのですが、俺は中学1年の頃に、この対話型の日記を書いたことがありまう。二つの人格に対話をさせて、自分の性格を語るやり方です。漫才を意識したのかよく覚えていませんが、母親に怒られたことがあります。「気持ち悪いから、やめなさい。」と。
 その時は、止めてしまいましたね。でもまあ、漫画を描くこと自体、分裂した人格を使ってそれぞれに登場人物を割り振っていく作業に近いわけですから、そういう意味では、常に一般人の云うところの「気持ち悪い」ものを抱えてたままであったのかもしれません。うーむ、自覚していればいいんですけど、どーなんでしょうか。
 あ、タイピングが早いということを聞きました。そう、俺もタイピングは相当早いです。自分の考える速度沿って文章を書けるというのは、なかなかいいものです。まさしく「口述筆記」&「自動筆記」状態に近いわけです。当然ではありますが、所謂、多作家と呼ばれる作家は、猛烈にタイピングは早い。アシモフも相当は早かったそうですし、栗本薫も相当早いのでしょう。
 何故に、そこまで熱意を持って日記を書いているのかよくわかりませんが、睡眠時間はお気をつけ下さい。若さに任せていると、ぽっくり行く場合もあるんですよ。

 さて、本日の一冊だが、内容に全然関係なくもない一冊。内田春菊「鬱でも愛して」(実業之日本社)を送りましょう。
 いやあ、内田春菊の漫画は始めて読みました。小説のは、「ファザー・ファッカー」しか読んでおりません。近藤ようこと並び、非常に「女性」を前面に押し出した作品が好感を持てます。そう、「謎の所有権」は、男性諸君には必読ですね。ぜひ、お買い求めになってご覧下さい。笑えるも笑えないもあなた次第です。

 そうそう、「真麻の疑問」だけちょっと説明しましょう。
 所謂、小学生の性教育に対する疑問の話です。この冒頭に先生から月経の話があって、次のように説明します。
 「おとなになるとからだの中にあかちゃんのえいようぶんがたまります。
  あかちゃんができないと、
  えいようぶんはからだのそとへすてられます。」
 真麻という女の子は、それを気持ち悪いと思うわけです。それを飲むかと思って気持ち悪いと思うわけです。
 彼女の母親は、彼女に対してこう説明するわけです。
 「精子を待っていた卵子が死んだとき受精卵を守るためにできたクッションの膜が
  はがれて落ちるときの血」
 だと教えるわけです。

 生理だとか、月経だとか、精子だとか、そういうものは、そういうものだとはっきりと教えて貰ったほうが、子供として安心します。学校での通り一遍の知識では、それぞれの子供の家庭環境や性への態度が画一化されてしまうから、危険でさえあるのです。
 さて、俺の場合はどうだったかと云うと、母親から「月経」について教わりました。
 「卵子を守るための栄養分とクッションの膜がはがれ落ちて出るのが月経。」
 上の二つを混ぜたような意見を聞きました。あーうー、なんてあけすけな母親なんでしょうか。

 そうそう、自慰による射精の始末も叱られました。
 「パンツの中ですると、色が残るから、ちゃんとティッシュで始末しなさい。」と。
 そう、変な親だったのかもしれないし、変な子供だったのかもしれません。

 うちの家庭、非常に「普通」だと思っていますが、実は、そう、一番「普通」ではない家庭なのかもしれません。
 確かにね、自分の家しか詳しく知らないわけだから、自分の家が「普通」かどうかなんか解りませんね。そんな中でも、こんな子が育つということの実例でしょうか。
 最近、いかに俺が「普通」ではなかったかを痛感しております。ごく真面目に普通に徹しているつもりなのに、なぜか浮いてしまうのは、こういうところなのでしょうか。

update: 1996/09/09
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