書評日記 第136冊
雨の日が嫌いという人が多いでしょうが、俺は雨の日が好きです。というか、俺の人生の節目には雨が降っていました。天から平等に降ってくる雨は、俺の気持ちなんてお構いなしです。そういう意味で俺は雨の日が好きです。
「日記物語」の方で、だいぶん元気にはなったんだけど、やっぱり無理っぽい。さすがに、本格的に独りというのを実感し始めて、居場所の無い居たたまれなしさを感じると一気に逃げ出したくなります。ただ、まあ、今回は逃げ出すことは出来ないし、多分これが体力的にも最後のチャンスだと思うし、もう、ね、能力の手駒もないことだし、「小説」に賭けています。いや、こうでもしないと、なかなか動かないのよ。俺という人間は基本的にずぼらに出来ているし。
俺が、大学院に落ちた時の話をしましょう。
そう、俺は、大学6年生の時、大学院に受かっています。歳も歳でしたし、既に夢も失っていたし、その不況の最中、就職の手段としては大学院に残るしか無かったのです。まあ、お情けというか、滑り込みセーフ状態で合格はしました。いや、させてもらいました。それをね、卒業直前になって、卒業単位が足りなかったんです。大学1年生の時に受けるべき数2の授業を落としていました。まさか、落とされるもとのとは思わなかった俺は、確認を怠っていました。俺は、自分がバカらしくなりました。そういう自己管理が一切できない自分を思い知らされました。その日、髪の毛を切って丸坊主にしました、自分で。剃刀を当てて、夜中に3時間ぐらいかけて、剃ってました。何をしようとしたのかしれませんが、何故か、詫びを入れなければならない気持ちになっていまいした。
次の日、研究室に行くと、はあ、別に普通でした。危ない奴と思われたかどうかわかりません。教授は目の色も変えず、今後の事を尋ねました。俺は、「残ります。」と答えました。そんなもんです。
1週間程して、親に卒業できない旨を伝えました。彼らはもう、受かっているもんだと思ったものが駄目になって慌てました。説得されて、母親と弟が東京から来ました。弟の車に乗せてもらい、その数2の講師のところに詫びを入れることになりました。そう、最悪なことに客員講師でした。行きましたが、全然受け付けて貰えませんでした。渋る講師に頼み込んで、一つ問題を解いて、それが正解だったら合格にしてくれると約束し、30分考えつづけました。意気消沈していたのか、結局、できませんでした。その講師は云いました。「これが、解ってないようでは合格にすることは出来ません。」と。母親は毒づいていましたが、俺は講師の言葉も納得がいったし、もうなにもかも嫌になっていたので、早く帰りたかった、それだけでした。
4月から、やっぱり俺の生活態度は変わりませんでした。研究室に午後1時頃に行って、午後7時には帰る毎日が続きました。卒論も提出してしまった後だったので、何もすることが無かったのです。勉強をする意欲はありました。ただ、原子力に興味を持つことは出来ませんでした。午後1時に研究室に顔だけを出すと、図書館に籠ってUNIXのシステムの勉強をし始めました。リアルタイムOSやLISP、オブジェクト指向、C言語でゲームを作ったり、そういう毎日が続きました。敢えてコンピュータの分野だったのは、たまたまパソコンを持っていたし、潰しが効くような気がしたからです。どこかのゲーム会社でも勤めればそれでいいかとも思っていました。まさしく、人から逃げて、隠れて勉強をしていました。そういう独り遊びが楽しかったし、俺の勉強方法は昔からそうだったのです。輪講とか講義とかが非常に苦手でしたよ。普通の人付き合いというものが全然できませんでした。相手の一言一言にびくびくしていて、傷ついていました。
そして、再び8月末がやって来ました。大学院の勉強をする後輩達に混ざればいいものを、俺はそれができませんでした。自分の知識の衰えを感じていたし、全然出来なくなっている自分が恥ずかしくて、こっそり勉強をしてました。でも、なんか嫌になって、再び図書館でコンピュータ理論を勉強し、夜中にはプログラムを作る毎日でした。そんな奴でしたから、後輩から裏情報を聞くような勇気もなく、ただ、真面目にそのまま試験を受けました。勉強をしていないものだから、解るハズがありません。当然、落ちる覚悟はしていました。でも、バカな俺は、ひょっとしたら、とか甘い考えも抱いていました。
結果は、当然のことなから惨敗です。面接の時にのっけから云われましたよ。「君、これからどうするの?」と。どうもこうもありません。すっきりしたというか、がっくり来たというか、もうこれで研究室とも縁が切れるのが嬉しかったし、また、これからどうしようかと不安でなりませんでした。
ただ、そう、泣きたくて、屋上に出ました。こういう時は、独りになりたいものです。ま、いつも独りでしたけどね。屋上に行って、大江健三郎の「河馬に咬まれた男」をねっころがりながら、読んでいました。ぼんやりと、なんとはなしに、字面だけを追っていました。8月末ではありましたが、日は暖かかった。ぽかぽかして眠くなりました。そして、そのまま昼寝をしました。
と、その時、雨が降ってきたわけです。ちょっと早い夕立でしょうか。午後3時頃。顔に当たる粒は大粒でした。ばしばしと顔に当たって気持ちいいような、痛いようなそんな妙な気分でした。面倒なので、本を読んだまま、ねっころがっていました。雨は俺の身体を打ち、全身びしょ濡れになりました。でもね、非常に気持ち良かった。バカみたいに何も出来ない自分にも雨だけは係りあってくれる。びしょ濡れになりながら思いましたよ。このまま、冷えていってしまってもいいかなあ、とか。
でもね、雨は止むものです。夏の雨は、夕立は、突然止んで。日が照ってきました。全身びしょ濡れの俺の身体を陽の光が、暖め始めました。余計なことをするな、とも思いましたが、ま、そんなもんです。人間ってのは、なかなか死ぬようなこともありません。まして、あの時は「夢」が無かったし。
とその時、後輩が呼びに来ました。教授が呼んでいるそうです。俺はびしょ濡れの身体を起して、立ち上がりました。
そう、そういう訳で、俺は雨が好きです。空の機嫌は、俺の機嫌なんてお構いなしです。雨は降りたい時に降り、止みたい時に止むわけです。こうなると、俺のちっぽけな気分なんて、どーでもよくなって来ます。今夜もね、そういう気分なんですよ。
さてと、本日の一冊は早乙女貢「勝海舟」を紹介しましょう。これは、俺が浪人時代に読んだ本です。浪人時代も独りぼっちでした。でも、まあ、あんまり寂しくはありませんでした。大学という目標に邁進してましたからね。御存じ、勝海舟は、坂本竜馬の師匠的存在です。とはいえ、竜馬が江戸に出てきた時に最初に会っただけで、その後は交流がありません。瓢々と生きる勝海舟の姿、幕末にありつつも徳川慶喜を盛りたてて、敢えて体制側にいることによって、体制の毒の部分を引き受ける精神的な強さと、その立場といものに対する理解力と役割を全うする態度、そういう所に俺は共感しました。
俺もね、何故か、体制側に居ることはあんまり苦ではないんです。だけどね、ずぼら&生意気&能力のある俺というのは、体制側にとって一番忌み嫌う存在のようです。なんか不思議ですが、管理する側に毛嫌いされます。つーわけで、やっぱり俺って、サラリーマンには向いてないみたい。
さ、土曜日は「オフミ」です。俺にとって曰付きの方ばかりなんで、なんか、非常に恥ずかしいのですが、笑って許してやって下さい。見かけはごく普通のサラリーマンなんですよ。内部はさ、単なるぐーたらかもしれないけど、ま、長い目で見てやって下さい。
update: 1996/09/09
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