書評日記 第140冊
ああ、もう、またしても、変なものが来ましたよ。
日記猿人の参加者をCDROMに載せる。それはかまわないと思います。でもね、16日という日付を切るのはいかがなものでしょうか。確か、せんべんさんは写真家を目指していたはずでは?あなたの写真は日常からの切り取りであるはずです。単純な記念写真ではないのでしょう。ならば、この「16日」という日付の指定が何を意味するのか知っていてやっているのでしょうか。別に、過去の一日を適当に切り取ればいいんじゃなかったのでしょうか。皆様、にこやかに記念写真を撮るのでしょうか。なにもせずに。ただ、平穏でインターネットが楽しい世界、日記猿人が作る日記界というものが楽しい世界だということをアピールしたいのですか?それならば、まあ、納得もいきますけど、写真家というものは、芸術家というものは、そういう堕落したものから一歩抜け出すこと、厳しい目を持つこと、汚いものに接すること、醜いものを敢えて写真に撮り真実を映し出すこと、また、雑多な日常の中から美しいものを撮ること、ささやかなものを撮ること、人間が人間たる所以の部分を切り取ること、俺は、写真家という芸術家をそういう風に捉えるのですが、いかがなものでしょうか。
果たして、「16日」、皆様の記念写真は、日記猿人の円満な姿を写し出して、それで満足なわけ?生憎、俺は記念写真が嫌いなので、そういう偽りの平穏に協力はしませんので御勘弁頂きたい。じゃあ、更新しないかって。まさか、稀Jrが更新しないわけないでしょう。これだけ、罵倒されたし、バカ呼ばわりされるし、ははははは、きちんと俺が罵倒された日記は俺の手元にありますので、皆様、恐怖してください。多分、「16日」の日記は、俺を罵倒した日記の羅列になるでしょう。仕返し?いや、そんなんじゃないですね。あなた方がいかに人を人と思わず悪事を悪事と思わなかったのか、そういうものをね、たくさんの人に見てもらいましょう。しかも、CDROMなんかに残っちゃったら、ほれ、永久的に残りますからね。ははははは、あなたですよ、あなた。いや、読んじゃいないかもしれませんね。いえいえ、俺を罵倒しなかった人は御安心下さい。俺に憎まれてない人は大丈夫です。なにもしませんから。俺が晒し首にしてさし上げるのは、無神経な言葉や態度を示す方達です。それこそが、「真実」の姿でしょう?それこそが、本来の日記界の姿なのだから、どーせならば永久保存版にして残してもらおうじゃありませんか。
え?何?俺の悪事はどうだって?
ははははは、御冗談を云ってはいけません。俺の文章は、ほれ、全て「copyleft」ですからね。もともと、フリーなんですよ。何処に載ったって安心できる、全て俺が責任を持てる文章を書いています。だから、どうぞ、仕返しをしようが何をしようがかまいませんよ。基本的に俺は心無い罵倒や汚いだけの言葉を吐いてはいません。確かに誤解を受けるような単語をたくさん使ってはいますが、文章全体を見れば、理解できるように作ってあります。また、誤解されたとしても、それは、俺の責任であるし、俺の責務であります。だからね、俺は別に構わないわけですよ。ははははは。
ああ、そうだ、個人攻撃をしたりしたら、俺は削除されるのでしょうか。編集の方に?誰に削除されるのかなあ、よくわかりませんが。はて、どうしたものでしょうか。あなたの恐怖する顔が思い浮かびます。ははははは、楽しみにして下さいね。明日ですよ、明日。
さて、本日の一冊はフロイトの「夢判断」。そう、読め、といわれたから読んでいます。うーむ、まだ前半しか読んでないけど、あんまり面白くありません。ユングを読んでいる俺には、既に既知のものなのでしょうか。だいぶ、斜め読みをしています。
そうそう、フロイトを擬似科学と云った人も居りますが、うーむ、一応というか、科学なんですどね、これは。それとも、ユングの方は「科学」で、フロイトは「擬似科学」なのかなあ。よくわからんけど。
「科学」というものの根底は、なかなか曖昧なものです。「量子力学」を一通り勉強した俺にとって、量子力学の根底の部分がぷっつりと切れているように、「心理学」の根底も根無し草状態ですね。ああ、ビッグバンの新説を話していた日記もありました。そう、ビッグバンも無から生まれるという感じで、根無し草状態です。
でもね、これらを何故「科学」というか、考えて頂きたい。科学というものは、ある法則を根底に打ち立てて其処に理論を積み上げていく作業です。「幾何学」が5つの法則から成り立っていることを御存じかと思いますが、それと同じことです。数学というものは、最初の法則がありそれに沿って理論を積み重ねます。それを現実の中で行うことを「科学」と云います。ただ、現実という絶対の正解があるために、「心理学」のような謎の多い学問では仮説がたくさん出てきます。仮説の上に仮説を積み重ねることは「科学」において禁止されています。あくまでも、最初の「法則」に接したものから派生するわけです。ですから、俺が読む限り、前半の部分は、まあ、「科学」のような気がします。ただね、「科学」が恐いのは、そもそも人をもとにしたものですから、人から遊離してしまうと、そう、それは原爆と同じものになります。単なる人殺しの道具になるわけですよ。
はあ、何が云いたいのか。
つまりですね。頭の良い人は逆上する人と逆上しない人に二分されます。何故でしょうか。理論武装を行うことはいいことです。ただし、そこに「心」が宿らなければ、それは単なる攻撃用の武装にしかなりません。つまり、「知識」でしかないのです。しかし、「心」を宿せば、それは「防御」であり、また、方向を逆にすれば「治療」になります。それは「智恵」です。
解りますか?罵倒するのは簡単なのです。しかし、罵倒せずに、逆上せずに一息いれることが大切なのです。ユングがフロイトと決別したのはその部分の違いではないでしょうか。さて、どちらがユングで、どちらがフロイトなのでしょうか。
ははははは、16日の書評日記を楽しみにして下さい。観客に過ぎないあなたは、ま、大丈夫と申し上げておきましょう。では。
update: 1996/09/09
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