ははははは、アニメものが続いて仕方がない。でもさあ、最近こういうものが俺に与えた影響というものはものすごく大きいことに気が付いた。そう、俺以上の世代は、アニメといえば、「のらくろ」だったり、「ジャングル大帝」だったり、「鉄腕アトム」だったり、と所謂お子様向けのお話が多かったと思うが、俺達の世代(?)は、アニメというものがTV娯楽の中で中央を占めていて、誰しもがアニメというものを見て育ち、「本」を読むよりもTVアニメから受ける影響、漫画から受ける影響の方がずっと大きかったし、夏目漱石や森鴎外、三島由紀夫などの文学作家に匹敵するような形で、漫画を読んでいたりしたものだ。
そう、俺にとって、手塚治虫の「火の鳥」と「ブラック・ジャック」は大きな位置を占める。小学4年の頃にこの2つを読んだ事は、俺に絶対的な価値観と世界観を与えてくれた。まあ、もうちょっとマシなものを読めばよかったという意見もあるかもしれないが、今の俺は、昔の俺に感謝するね。本を読まずに、こういう良質な漫画を読むのも良い経験であるに違いない。余談ではあるが、俺が手塚治虫の本で大学時代までに読んだのは、あと「シュマリ」だけだ。実際は、手塚治虫の漫画は多岐に渡るわけで、暗い部分とかどろどろした部分もたくさんあることを大学時代に改めて読んで知ったわけだが、俺の見てきた手塚治虫像というのもは、この3つの作品のみに絞られる。そういう意味で、ちょっと世間で評価されるところの「手塚治虫」とは違うことを此処に記しておく。
さて、TVアニメに話をもとに戻そう。俺が中学生から高校生にかけてTVアニメというものは全盛期を迎える。本当にいろいろなものを見てきた。「コブラ」、「青い鳥」「キャプテン・フューチャー」、「未来少年コナン」、「マクロス」、「サイボーグ009」、「ボトムズ」、「ヴァイファム」、などなど。数え上げれば切りが無いし、これ以上を知っている人も多いと思う。また、全てを知らなくてもひとつぐらいは見たことがあるんじゃないだろうか。それを毎週毎週楽しみにしてTVアニメを見ていたことを覚えている。そう、よくもまあ、週に5、6本のアニメを見てストーリーがごっちゃにならないものだと思ったことがある。週刊漫画雑誌もそうだが、あれだけのストーリーを毎週毎週別々に追うことができるのはすばらしい才能だと思うよ。この辺の話は、またの機会にしよう。あ、どなたかが蘊蓄で解説して貰ってもいいが。できればちゃんと分析して欲しいが・・・と釘を差しておこう。
そんな中で、「うる星やつら」というものは、俺にとって、いわゆる「恋指南」の漫画だったのかもしれない。いまでも「うる星やつら」のファンは多いと思うし、それは総集編のLDが出たりすると予約完売となったりすることが、それを示しているだろう。ひとりそういう人も知っているし。
で、まあ、俺の場合は、そういうファン的な見方よりも、まさしく、諸星あたるとラムの恋物語としてそれを読んでいたし、TVアニメを見ていた。「うる星」の一番最初の劇場映画である「ビューティフル・ドリーマー」は、映画用のカセットテープをダビングして(買う程の金はなかったし、当時ビデオなんて持っていなかった・・・今でも持ってないけど。)何度も聞いた覚えがある。そう、1時間半に及ぶ映画の中の科白&音楽を全て暗記していて空で言えるぐらいになっていた。高校時代だったか、通学途中に頭の中で映画の内容を幾度となく反芻していた。そういうのめり込み方をしたのは、諸星あたるとラムの年齢設定が高校生ということもあり、俺が中学高校と成長していくに従って、俺が彼らと同一の場にいる擬似的な現実感を持っていたためだと思うし、当時の俺もそれを意識していた。将来(?)どういう「恋」というものが俺に現われるのかわからないが、彼らの関係のような相手を「信用」するような、それでいて「自由」というような、そういう関係を望んでいたのかもしれない。いや、まあ、自分で云っていて、当時の俺を思い出すと恥ずかしくなるのだが、まあ、そういうものに憧れていたわけですよ。して、実際のところは、高校時代にそれは訪れなかったけどね・・・。それは、昔の話。
さてと、本日の一冊は・・・って、もう説明してしまったからいいかな?俺の「うる星やつら」の見方というか、それから感じたことは以上のことであった。まあ、同時代性というものが大きいわけだけど、今の子供たちは何を見て育つのだろうか。「美少女戦士セーラームーン」がある。これは、俺も好きなんだけど、いわゆる「愛と正義」というものがきちんと前面に出てきている、いい作品だと思う。まあ、大学生が見るものとしては、ちょっと・・・と思われるところもあるが・・・まあ、そんなもんでしょう。
高橋留美子についてちょっと書いておこう。
以前も書いたけど、劇画村塾出身なところが、いわゆる「変」な人の部類にはいると思う。ルーミックワールドと称して、独自な世界観を作るひとだということは、そのSF的な手法が示すところだ。「うる星」もそうだし、「らんま1/2」もそうだった。この2つに共通するのは一定の世界観の中で登場人物をどかどか入れ込むことで、高橋留美子の世界というものより確実に彩るところにあると思う。この辺、手法が「戦争と平和」、「グイン・サーガ」に似ているし、「うる星」以後のSFファンタジー小説に影響が色濃く残っている。あとの作品は、短編漫画と人魚シリーズ、「1ポンドの福音」、「めぞん一刻」などがあるけれども、一貫している雰囲気にいかにも女性らしい情感というものが流れていると思う。俺が彼女自身の漫画が好きなのは、その表面的なSF感とかどたばた感ではなくて、その根底に流れる「恋」というキーワードである。まあ、これは俺だけでなく誰でも感じているところだろうと思うけどさ、まあ、そんな感じで、次の作品(とはいえ、読んでないけど)もその次の作品も期待できる作家である。
あ、そうそう、「ビューティフル・ドリーマー」を観た人は覚えておいでであろうし、好きな科白だと思う。
諸星あたるの夢の中、子供になったラムが云う科白。
「責任とってね。」
の一言は、ああ、男性にとって、恐怖の言葉?それとも、愛の証か?
稀Jrの100冊/第150冊め/第152冊め