書評日記 第152冊
そろそろ、賢明な諸君諸嬢はお分かりであろうが、そう、この書評日記書き溜め中である。ただいま、書いている場所は海老名駅の前にある喫茶店。ノートブックを持ち歩いてぽちぽち書いている。IBMのThinkPadなんだが、キーボードタッチといい、重さといい、俺の感覚にちょうどいい。欲をいえば、もうちょっと稼動時間が長くてもいいと思うのだが(現状3時間弱)・・・。俺の場合、こうやって文章を書き始めると3時間以上は書いていることができる。まあ予備のバッテリーをもっていってもいいのだけれども、遠出をしてしまって、単なる重たい箱を持つパターンだけは勘弁して欲しい。実は、これを買った直後の1日目はそういう状態だった。電車の中で稼動させて、その日の帰りに喫茶店で寄って、ノートブックを開くと既にバッテリー切れである。次の日からは、会社にACアダプターをもって行って、会社でも充電することにしたのだが・・・、まあ、遠出のことも考えれば予備のバッテリーは必須だと思う。俺のように「モバイルな作家」(?)を目指そうとしている者にとって、この稼動時間というものは死活問題なのだが・・・、うーむ、泣く泣く1個2万円の予備バッテリーを買いましたよ。ついでにACアダプターも買って、家と会社に1つずつ置くようにしています。
これで、快適・・・なはずなのだが、もうちょっとなあ、長時間使えるようになるといいんだけど。一番いいのが、喫茶店でACアダプターなんだが・・・それは犯罪か。
さてと、マシン環境の自慢(?)はいいとして、話を「本」に戻そう。
俺が手塚治虫の「ブラック・ジャック」に出会ったのは、小4年の頃、札幌の親戚の家の納戸であった。第一印象ははっきりと覚えていないが、むしゃぶりつくように読み、そして単純な俺は「医者」になることを決心した。はははは、それも「悪徳医者」になりたいと思ったわけだ。登場人物としてブラック・ジャックに憧れるところは、その一匹狼である立場、権力に屈しない立場、徒党を組まない、きっちりと大金をとる、技術&才能は抜群、そして、弱者の見方であるところである。そういう正義感と才能の両方を持ち合わせているところにブラック・ジャックのすごさがあるのだと思う・・・とはいえ、漫画の主人公なのだから簡単なのかもしれないが。ただ、そこに描かれる医学の知識は、かつて手塚治虫が医学部であったことと無縁でないし、また、ブラック・ジャックに含まれる孤高の精神と弱者への態度、かつ、精神的な強さを求める態度は、手塚治虫そのものであるのではなかったか、と思われる。確かに、「奇子」とか「MW」など、個々の作品としては優れたものがあるかもしれないが、トータル概念として、生きている人間として、そして、手塚治虫が連載をし、共に大きくなった存在として、「ブラック・ジャック」という作品は、彼にとって特別な位置を占めるものではないか、と俺は思う。・・・まあ、俺にとって特別な位置を占めるから、そう思うのかもしれないが。
まあ、それはいいとして、「ブラック・ジャック」を読んで「医者」になりたいと思った俺は、ほんとうに素直に医者になりたいと思った。その時から医学書なり百科事典を読み出したのはホントウの話である。
それをくじけさせるひと場面がある。
そう、俺は学校の授業参観日だかに、
「自分のなりたいものは、医者です。」
と言った。そして、教室に飾ってある札にもそう書いた。
その日、家で母親にこう言われた。
「そういうものを人前で言うものではない。」
当時の俺は、何を言われたのかよくわからなかった。石川先生のただれた首筋を整形してあげたいと思った。ペルテス病に掛かった弟を直したいと思った。そういう素直な気持ちで「医者」になりたいと思ったし、世の中の不幸な人に医者として手を差し伸べる、そういう行為をしてみたかった。
次に言われた科白がこうであった。
「そんなに金が欲しいのか、と思われるから。」
俺は愕然とした。
「医者=金儲け」という図式は俺には全くなかった。
まさしく、その一言により、俺はそういう図式があることを知った。そして、なんとなく嫌になった。
中学生の頃まで、医者を目指していたことは確かなことだ。ただ、「医者=金儲け」という図式が頭を離れず、なにかわだかまりがあった。中学2年の夏に転校をした時を機会に、俺は医者を諦めた。誰にも言わなかったけど。親にも言わなかったけど。俺は、
「ブラック・ジャック」を描いた手塚治虫のようになりたい
という希望に自分をすり変えた。
あのまま行っていれば、俺は医者になっただろうか。それはわからない。ただ、今の俺は無かっただろう。今の俺を形成するためには、それは必要な一言であったのかもしれない。人生のとはそういう失望と希望の繰り返しだと思う。
ああ、そう、本日の一冊であるが、まあ、これだけ書けば十分でしょう。手塚治虫の「ブラック・ジャック」を読んだ感想は以上の通りです。
そういうわけで、俺は今でも医学書を読んでもすんなりと理解ができます。時々立ち読みもします。
だから、そう、医学部の人には頑張ってほしいわけ。税金を使おうが、保険をごまかそうが、かまわない。彼らも人間だから、いろいろ嫌なこともあるだろうし、リビドーを発散させる場も必要だと思う。そう「聖人」ではないのだから、おおいに彼や彼女の人生を謳歌して欲しい。ただ、頼むのは「患者」の前では「聖人」であって欲しいということ。弱者の中の弱者である患者の前だけは、彼らにやさしく接して欲しい。それが、医者になれなかった俺の唯一の願いである。
update: 1996/09/09
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