書評日記 第158冊
私たちは繁殖している 内田春菊
ぶんか社

 実は内田春菊の漫画&小説を読んだのは、ごく最近のことだ。しかも、彼女の作品は、3つしか読んでいない。「ファザー・ファッカー」「鬱でも愛して」と、そして、この「私たちは繁殖している」である。
 彼女の名前は一応知っていた。漫画&物書き&ライブとマルチな人であることも知っていた。今年の春にインターネット巡りを始めた頃、最初にホームページを見つけた有名人である。

 俺は近藤ようこの漫画が好きなのだけど、そのおんなおんなしたところに辟易する人もいる。まあ、「BLUE HORIZON」なんてのは母親の子殺しに関する話だし、男性にとって女性の内面を見せられてしまうのは、幻想が崩れてしまい嫌気がさすのかもしれない。俺は男性なんだけれども、あんまり・・・というか、むしろ、そういう女性の内面の部分に興味があるし、また、女性から見た世界観を描いたものに興味がある。この辺に、少女漫画をばかすか読んだり、今回の「私たちは繁殖している」を読んで好きになったりする理由があるのかもしれない。
 
 そうそう、何故か「出産もの」の類の本が揃えつつある。石坂啓の「赤ちゃんが来た」をはじめ、江川達也の本、富岡順の本、近藤ようこの本、そして、内田春菊の本。妊娠をする、赤ん坊を産む、赤ん坊を育てる、子供を育てる、そういう行為に興味がある。ああ、当然(?)、女性の生理にも興味がある。
 これらに共通しているのは、決して、子供を決して特別扱いしているのではなく、時にはペットとして扱ったり、ものとしてみたり、実験したり、憎しみの対象になったり、溺愛したり、そういうひとつひとつの生々しい現実が描かれている。そう、泣いたり喚いたりする。だけども可愛い時もある。憎たらしい小僧を感じる時もある。そういう諸々の生活を描く。また、俺がそれを読む。何を受け取ろうとしているのだろうか。

 まあ、俺の個人的な感想は置いといて、もうちょっと一般的な感想を述べよう。
 いわゆる、内田春菊が妊娠、出産、子育てという手順を実体験もとにフィクションも含めて(と書いてある)披露している「笑える」漫画というところだろうか。子育てに関する現実、赤ん坊に対して妙な期待をしたり、妙な気兼ねをしたり、過保護になったり、する現実を「笑える」ようにならなくてはいけない・・・ってさあ、マジメに批評しなくたって、笑えることは確か。ご一読を薦める。
 そうそう、女性の生理とか妊娠とか月経とか、そういう男性には体験できないものが、ぼろぼろ書いていてある。いや、女性でさえ知らないことが書いてあるのではないだろうか。そういう、女性が恥ずかしがって話さなかったこと、また、男性中心の社会では対象にされなかった事実がこの漫画にはあると思う。
 うーむ、子宮外妊娠とかさあ、流産とか、卵管の摘出手術とか、月経の重い軽いだの、排卵時の生殖器の動作、などなど。

 いや、なんつーか、月経の重い人の場合、1週間ぐらいは機嫌が悪いそうだ。となるとさ、人生の4分の1は生理について悩まされるわけで、そりゃあ、まあ、女性が「現実的」にならざるを得んよなあ、と思う次第。
 あ、そうそう、流産ってのも、10人に1人以上の確率で起こるらしい。その後は、子宮の中を掃除したりなんなりと、ややこしい「手術」が待っているわけで、なかなか大変だ。まあね、精神的負担も大きいし。

 それでも、なお且つ、「妊娠したい。」とのたまう内田春菊は、女性の鏡なのか、それとも、人類の敵?

 最後になったけど、「私たちは繁殖している」のページがあるのでご一読を薦める次第。結構まじに考えてるよな、うん。

update: 1996/12/02
copyleft by marenijr