書評日記 第220冊
多甚古村 井伏鱒二
新潮文庫

 村の駐在さんという存在は、村の中の法律のようなものである。様々なごたごたの中で唯一どちらにも関与しない煤けた存在として其処に在るのが駐在さんである。狭い村の中で、彼の担う仕事は意外と多いのかもしれない。

 駐在さんの日記として「多甚古村」は書かれている。井伏鱒二が広島に住んでいたことをこの本の解説により知る。全体として田舎然とした、井伏鱒二の作品の全貌がなんとなく判かるような気がした。
 確か読んだのは「山椒魚」と「黒い雨」、「ジョン万次郎」だったと思う。どれにもぼそぼそとした田舎人の気風が流れて見えるのは其のためだったとしてもおかしくはない。

 川端康成とノーベル文学賞を争うわけだが、老獪という言葉で積極的な主張をする川端康成と、日本古風な田舎の調和の部分を密かに出す井伏鱒二では、世界に名を通すには前者であったとしても不思議ではない。ただ、政治に関わった川端康成を軽く見る筒井康隆の意見を聞いた後は、俺は川端康成に良い印象を持っていない。……野坂昭如は、うーむ、ほとんど作品を読んでいないので別個にしておく。
 井伏鱒二を夏目漱石の配下に居ると思ってはいけないだろうか。余りにも正統過ぎる駐在さんの日記の中から得られるのは、正統が正統故に避けられてしまう拠り所の無さを感じる時もある。いざ研究、論評としないならば、流して読んでしまう部分も多い。ただし、其の緩やかさに漂う感覚を楽しむとすれば、此れは最高の味わいを持つ。村の中の出来事を忠実に書き移し、村人達が動く様子をそのままに描くという描写の良さに、ふうと溜め息を漏らすことも出来る。
 ただ、まあ、最近に於いて俺の評価は甘く、どの作品に於いても其の良さを見つけて(一流だから当然なのだが)しまい、あれこれと悩む必要のないことに悩みを持ち出しているのかもしれないから、再読する時にこの感想が充てになるとは思えない。しかし、良質は良質が故にそのまま甘受しておきたいのが本音である。理解できぬ素人文章は、やはり理解できない。

 格調高いという評価が与えられている。肯く。
 そうそう、ユーモアという幅広さを井伏鱒二は持っている。ただ淡々と「多甚古村」が書かれていたら、その文章の古風さと正統なる単調さ故に面白さを見出すことはないと思う。其の中に含まれる彼独特のユーモアがある。それは、はっきりとしたものではなく、全体としてゆるりと捻ってある不可思議な部分がそう思わせるのかもしれない。

 ……こう書いてはみたものの、本当の意味で、井伏鱒二を読み解いているか俺は知らない。ただ、正直に云えるのは、井伏鱒二という「作家」が俺の前に居るからこそ、彼の作品を読み、そしてうーむとなかなか、と唸るような手応えを残したという事実だけが正確なところである。

update: 1997/01/31
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