明治43年に作成されたのであるから、随筆の名手として永井荷風を評しても過言ではないと思われる。現在の数々のエッセーが彼の雰囲気を模すれば多少なりとも思慮深い作品が出来ると思うのだが、それは駄文の氾濫する雑誌の類いに辟易してしまった俺だから云う言葉なのかもしれない。
「勘九郎とはずばなし」のように歌舞伎役者として特殊な視点から見た一般人とは違った世界を垣間見るのは、知識欲を埋めるための読みと同時に、歌舞伎を見る時の面白さの深みをより味わおうとするために読むところがある。時として随筆が随筆として下らないように見えるのは、紀行文としての味わいよりも、新しい情報を情報としか報告できない文章の深さが無いところに俺は嫌気が差してしまう。随筆とは、さして特殊でもない経験を著者がより深く味わい、その深みの部分を文章として書き残すところに面白味を感じるのだろう。
ただし、永井家風の不思議なところは、文体を意識する事無く、あたかも酒呑みが酒そのものを味わい蘊蓄を垂れることなく酩酊の中にこそ酒としての味を知るように、女と戯れる彼の人生からひとつひとつの切り出しを行い、単純に配置させて遊ぶという個人のためだけの回想の楽しみ、それに耽る文章という自分勝手な部分から生まれた漂う文体、そういう妙技というところかもしれない。
当時の数々の文体論を退け斯く在る永井荷風という作家をして単なる手慰みとして作られた随筆の一遍一遍を拝読してしまうのは、悔しいとしながらも、研究なぞという浅墓な事を考えないで良いとされる自然体の気風が流れてくる。其れは、随筆という単語が意味する、思うままにまかせてという姿を、人生に於いても文章に於いても実践してきた結果ではないかと思う。
翻って数々のライターという職業、つまり、単純な伝達という手段にのみ文章を使い、その中に思考の紛らわしさを排除するように心がける文筆家という職業を考えた時、そうするには常に流動する頭を持つ己では到底太刀打ちできないであろう鈍感さが、彼らには在ると思う。其れを悪しき物として捉えるのは簡単なことなのだが、会話という中の戯れに対して綱渡りの妙技を見せることを主としている今の己の文章では、到底適わぬ職種であると自らを卑下して置きたい。
俺にとって、数々の文章がより思考に直結した文体を選んだ時、圧縮された思考結果の渦を渦のままに書き残し置く方が相当楽になったことは確かなことである。
其れは、普通のエッセーとは違って、自分勝手な思惑に戯れる現実情報からの脱出なのかもしれない。ただ、永井荷風に現在のエッセーを求めのは難しく、矢張り、明治時代の随想としての味わいを独特なものとして甘受したい。其れは結局の所、永井荷風でしか為し得なかった経験と文章の戯れであったに違いない。其れを己がものにしようと必死にならなくても、俺は既にその域に達しつつあるのではないだろうか、という不遜な考えが浮かぶ。無論、文筆家としての世の時流というものがあるので、選ぶのは彼らなのであるが……。
最近、さほど難しい文章に出会っていない。言い回しに苦慮している文章程、作者としての苦悩が伺えると思うのは「言語の欠乏」を知って以後、確信を深めている。唯、何故に書き付けるのかと問われれば、全てを思い出すことはできない本読みの中で、ひとつ思い出すキッカケを為すために、と云うに過ぎない。ややこしい文体に成るのは、思考を直結しているに過ぎなく、語彙の少なさに戸惑いを覚えつつ論理的な思考展開を残しておくには、この方法が一番便利だからである。
逆に云えば、其れ等を微妙に変化させて物語化させる小説こそ己に相応しいと思うのは、目指す所の無い俺だからかもしれない。