書評日記 第257冊
ヒロシマ・ノート 大江健三郎

 広島という単語が皆がすぐに原爆と結び付くかどうかは解からないのだが、少なくとも中高生時代を広島という土地で過ごした俺には、ほとんどイコールとなって頭の中に刻み込まれている。
 無論、長崎にも原爆は落とされたのだから、ヒロシマ・ナガサキとしての併記が当然と考える人もいるようだが、「ヒロシマ」という単語の中には、広島の土地から遊離して、原爆投下の事実を形而上学的な意味に昇華させる呪文と俺は思っている。

 1960年代に大江健三郎が広島の土地を訪れる。原水爆禁止の総会に出席し、それの感想も踏まえて、彼の見たヒロシマが語られる。
 ただ、広島で中学・高校での原爆教育を受けた俺にとっては、同意とも反意ともつかない、あまりにも当然な意見を書き連ねただけのような気がするのは、何を意味するのだろうか。四国の山奥で生まれた大江健三郎と、原爆という戦争という罪を意識せざるを得ない土地で思春期を過ごさざるを得なかった俺という存在を比較してみる。ひょっとして、彼が俺と同一な感想に至ったのは、当然というよりも、彼の洞察力の鋭さを物語ってはいないだろうか。単純な戦争反対の意見や、原水爆禁止という共通の目的を持つ運動家達が何故か3分裂してしまった事実を考えれば、同じ所に至るのは、希有なことなのではないだろうか。
 大江健三郎以外であり、広島の土地以外で日常を過ごした人達は、「ヒロシマ…」をどう読むのであろうか。単なる事実の羅列が、人の感動よりも嫌悪よりも先に、そういう「事実」というものを認識してこそ、考えるという人の行動、そして差し控えるという一歩程謙虚である態度を賛美するに至るのは、難しいことなのだろうか。

 何故に原爆が落とされなければならなかったのか?
 戦争を終結させるための犠牲者は、50年経って原爆症という事実を引きずる。婚姻相手が、原爆手帳を持っているか否かという、親が被爆をしたのか否かという、その本人ではどうすることもできない、一生ひきずらねばならない事実というものを、安易な「戦争終結」という言葉だけで済ますのは、俺は好まない。
 憎むのではなく、忘れないという心得が、其処にはある。俺自身は、戦争も知らないし、被爆したわけではない。しかし、被爆者の数々の言葉を聞けば、あった事実というものを忘却してはならない、押し隠そうとしてはならない、安易な納得に至ってはならない、考え続けることにより、第二、第三の愚かな人類の悲劇を生み出すことの抑制力になることに他ならない。
 だからこそ、従軍慰安婦であれ南京大虐殺であれ、事実は事実のままに受け取り、反省するなり了承するなり、個々の至る部分を持つのは大切なことだと思うし、それが教育の使命ではないだろうか。一体、その事実を何処で知るのかといえば、教科書でしか知り得ないとすれば、記して、そういう事実があったことを教えるのが教育者たる者の姿ではないだろうか。

 沖縄戦のために「オキナワ・ノート」も読むべきだと思う。
 知らぬままというのは、やはり、俺には「罪」だと感じる。

update: 1997/02/22
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