書評日記 第299冊
最後のSF作家のような気がする。
もうちょっと、制限を加えれば「最後のショートショートSF作家」だろうか。
……とはいえ、ショートショートSF作家は、星新一を始め、筒井康隆、豊田有恒、小松左京、横田順彌、ぐらなものだろうから、敢えて「最後」という単語を冠するのも妙かもしれない。
ただし、彼の作品を読む毎に思うのは、星新一を読んでいた頃のSFとの出会いに自分の気持ちが戻る。
フィリップ=K=ディックとは違う、また、最近のSFファンタジーとは異なる、日本のSFの良さが其処にある。
もしかすると、温床なのかもしれない。日本の風土かもしれない。
彼の作品には、「サラリーマン」という仕事がキーポイントになっている。サラリーマンという職業に対して、会社という職場に対して、批判的なような気もしないではないが(実際「批判的」として捉える人達は多い)、私が思うに、日本のサラリーマンが、「企業戦士」という用語から遊離しはじめて、米国のホワイトカラーを気取るほど優雅ではなく、しかし、東南アジアの工場で働くほど生活に困っているわけではなく、生きがいとは別で、人生の中心とは別な、どこか曖昧なままに生活の中心の「仕事」という位置を占めてしまっている戸惑いのままに、過ごさなければならない悲哀の中にありつつも、その「悲哀」が悲哀とは気付かずに、ぬるま湯の温床としての「サラリーマン」という仕事を感じることができる。
痛烈さはないけれど、楽しめる「パロディ」が其処にある。
本当の意味での「楽しさ」だろうか?
アイディアは逸品で、読んでいる間は楽しい。
……だが、こういう風に、何かを掴もうとすると、何か物足りなさを感じる。
多分、こういう作品は、そのままが自然なのではないだろうか。
「すべての文章は政治的である」に関わらず、である。
それこそが、彼の作品の真髄だとしたら、得られるものは「味噌汁」なのか?
……単に作風が好きなだけなような気もするけど。
update: 1997/05/18
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