書評日記 第371冊
高野三三男展 高野三三男
目黒区美術館

 「こうのみさお」と読む。1900年生まれ、1979年没。大正期のアールデコをフランス遊学の中から継承して、第二次世界大戦を経て、女優達の絵を描き、そしてほとんど最近まで生き残る。
 ある意味で、彼が残したものは30歳の頃の2枚の絵のような気がする。その後は惰性というか、その2枚に自分を近づけるのをすっぱりと諦めてしまったかのような人としての熟成の中に自分なりの生き方を求めていたように見える。
 
 フランス趣味=貴族嗜好は高野三三男が描くモデルへの目に表われていると思う。この目は一貫していて美というものを美のままに残そうという素直さと執拗さがあるような気がする。小津安二郎が一生結婚せずに原節子という女優を美しいまま映像化したのと同じような執念というものを感じるのは私だけだろうか。
 ただし、30歳になって日本に戻り、従軍画家として中国に1年間行き、戦後は女優達の絵を趣味のような雰囲気を以って描いている彼の絵の遷移を見れば、芸術家という悲壮さよりは、人間生活の中に埋もれる豊かな人生というものを感じざるを得ない。
 もちろん、芸術家であるということが人間的な生き方=世間の中に融合する生き方とは相反するものでなくてはいけない、とは云わないが、彼の30歳の頃に描いた絵を観ると、その後の人生はそれに近づこうと足掻きつつも、諦めて日常生活の中に自分を求めてしまった、芸術家としての弱さというものを感じざるを得ない。
 
 アールデコ時代というものは、1920年代から30年代あたりを示す。それを考えれば、フランス貴族趣味の真っ白な肌の裸婦を好み、道化師との戯れを描く若き高野三三男という画家は、この時代こそを画家として生きていたように思える。
 となれば、日本のアールデコとして名声が高まってしまった彼のその後の人生は、過去の業績に縛られるものとなった、と云わざるを得ない。
 戦後の絵を見ると、抽象画やポップアートに迫ろうという気概は感じられるものの、それは決してうまくいっていない。
 どちらかといえば、女優をモデルにしていて彼女にプレゼントするような気楽さで筆を動かしている姿が思われるようなモデル画の方が随分彼らしいと言わざるを得ない。それが、30歳の頃の熱意としての芸術への傾倒に追いつくものではないとしても、それはひととしての年輪というものが高野三三男に自然に備わった熟成として好感が持てるような気がする。
 
 一番最初に持った感想は、「生き過ぎた画家」というところだろうか。80歳近くまで生きてしまった彼の姿は30歳の若い創作能力を既に失ってる。いや、そもそもが彼の芸術家としての活動は30歳をしてピークに達していると云っていい。
 それは、ピカソやデュビュッフェとは違い、絵画というものを学術的に探求する能力を高野三三男が持たなかったからかもしれない。
 しかし、誰もが学術的な探求を人生の中心に据えているわけではない。人として固執するものが多様であればこそ人類は豊かになれるとすれば、さまざまな生き方・老い方が模索されてこそ本当に人は幸せになれるのかもしれない。
 だから、長い晩年とも云える戦後の高野三三男の絵を見ると思うのは、若い頃の業績をうまく客観化させて、それがピークであると認めた上でその後の人生をうまく生きていた、という人としての厚みと巧みさを感じる。
 つまりは、彼自身はしあわせであったと私は思う。

update: 1997/12/09
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