書評日記 第402冊
恩讐の彼方に 菊池寛
角川文庫

 吉行淳之介を叩いて菊池寛を持ち上げるのはエコ贔屓のような気がするが、司馬遼太郎、子母澤寛、石川淳、の文質を好む私としては、吉行淳之介よりも菊池寛や谷崎潤一郎の小説を多く読むのが心地良い、というだけに過ぎない。
 
 菊池寛の通俗小説は今で云えば9時のドラマだと云える。彼は売れて儲かり文藝春秋を創った。その姿に嫉妬するかといえば、嫉妬しない。『恩讐の彼方に』を読む限りでは確実に大衆に好まれたであろう、という匂いを強く感じる。むろん、これは「かつての」大衆であるから、現在の大衆になじむかどうかは別である。それは、時代に即していた菊池寛の姿勢だと思う。彼の拾い上げた芥川龍之介のように純文学ゆえの激しさは菊池寛の小説にはほとんど見当たらない。確実にそれはあるのだが、前面に押し出されるほど、彼はあつかましくなく、無謀ではない。当然、芥川龍之介は無謀であったからこそあれほどの作品を残したのだろうが、菊池寛は特記すべき作品を残さなかったと云える。少なくとも私から見た菊池寛という作家はそういうスタンスを持っている。
 
 石川淳のように独自思想を切り開いているわけでもない。しかし、それが成功した通俗小説家の姿だと云えば、そうだろう。
 少なくとも、新潮文庫や角川文庫の棚に菊池寛の名はみあたらない。この本は角川文庫だけれども、古本屋で購入したものだから、現在の棚では見当たらない。そういう生きているうちは確実に成功した(特に金銭面で)といえる作家を私から見たとき、どういう風に観察すれば良いのかを私は未だ知らない。
 戦後、女優の肖像画を描いて過ごした高野三三男に似てると、ふと思う。今となっては、菊池寛も高野三三男もマイナーな人という位置付けになるだろう。

 別に読まないとしてもどういうこともない小説が巷に溢れる。だが、読まなければいけない小説なんてひとつも無い。それはひょいと手にとって、読んでみて初めて「ああ!」と気付くことになる、読書という特色を示していると思う。
 
 私の場合は、半分スケベ心があって本を読んでいるから、こうやってぶつぶつを感想を残すのだけれども、ざっと読んでざっと過ぎてしまう読書には何があるのか、と私はときどき不安になる。

update: 1998/1/23
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