書評日記 第464冊
河童が語る舞台裏おもて 妹尾河童
文春文庫 ISBNISBN4-16-753505-X

 妹尾河童さんは一体なんの職業をしているんだろうか、という問いに対する答えが「舞台美術家」だったんだ、という本。
 
 妹尾河童の画は、精密画とも写実画とも違い、一言で言えば「ミニコミ風の挿し絵」である。徹底的に細部に凝る。実際に0.5ミリのペンを持って、同じ太さで目の前のものの輪郭を忠実に描こうとすれば、あのような画になる。つげ義春の漫画のようになる。
 ただ、舞台美術家ということで私がひどく納得したのは、あのスタイルはやはり建築関係から得ているのだ、ということだった。屋根を開いてトイレを真上から見たり、ちょうど人の目線から建物を見上げたような家を描いたりして、誇張とも写実ともつかないが、なんとなくイメージとして一番リアルに伝わる画が妹尾河童の絵柄なのである。
 
 舞台美術家として、舞台の仕掛けを考えるのもさることながら、舞台に飾られる家なり木なり壁なりを雰囲気たっぷりに大道具の人たちに伝える必要がある。また、大道具の人たちは観客に芝居がより芝居らしく、また、同時にリアルに伝わるように苦心する。芝居で使われる木が、必ずしも本物のものが作り物のものを上回らないと同様に、芝居という虚構の世界では「リアル」というものは現実世界と全く同じように描いたからと云って必ずしも「リアル」に伝わるとは限らない。
 だから、ひとは芝居の中に現実よりもより感情移入できるものを求めることが出来――涙を流したり笑ってみたり――、現実とは隔ててられていつつ、芝居という舞台の上の演者が形作るアクシデント付きの危うい現実であったとしても、そこにのめり込むことができるのかもしれない。
 
 本物よりも本物らしいという感嘆は、本物には無い誇張が含まれ人がものを解釈・解読した時に得られるエッセンスが別の時空間のものまでも引っ張り込んで「本物」を作るために得られる。
 目の前にあるごろごろした現実から抽出し、とある偶然ととある仕掛けととある意図のままに一点に流し込むと、読者・観客・受け手は、ただの一点を注目し、そこから独自の読解を始めるのである。
 それが内部的なイメージを現実世界へと引っ張り出した結果が、妹尾河童の絵柄となり、彼の作る舞台のイメージとなる。

update: 1998/01/08
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