書評日記 第476冊
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球形の季節
恩田陸
新潮文庫 ISBNISBN4-10-123412-4
裏表紙に「新鋭の学園モダンホラー」と書いてある。
小説は文学から自由になり文体を持たなくなった、と私は思う。『球形の季節』は文学的な文体から自由である。大江健三郎の云う「小説の中の閉じられた世界」からも自由である。数々の登場人物がところどころで呟く言葉は全体を縛らない。ただ開放的なままに「学園モダンホラー」という分野の小説を書いている。これをいつもの私ならば毛嫌いする。散発的な登場人物の多さ、高校生を中心にした世界の狭さ、内想する場面の弱さ、たとえが大袈裟すぎるところがちらほら、と、文学としての欠点を挙げれば切りがない。が、小説として十分に成り立っていると私は思う。むしろ、私には好ましい印象を与えた小説である。
なぜか? 基本的に速読で十分な文体、センテンスのひとつひとつを読み込む必要はない。長く書かれたことによって読むスピードを上げたほうが楽に読める不思議さがある。言わば、消費するための小説がそこにある。解説で小谷真理が語るようにローファンタジーの技法はすべて埋め込んである。そこに民俗学風な要素をちりばめる。だが、その民俗学風な要素はあくまで一般知識だけで十分な浅さに止めてある。今風の「見えない世界が見えるひと」が出てくる。また、それに鈍感なひとも出てくる。現実世界を描いているようで決して現実世界を批判しない。あくまで舞台は小説の中だけにある。
「退屈な日常、管理された学校、眠った町」という舞台設定であり、そういう触れ込みなのだが、それは決して深刻ではなく現実的でもなく現実の自分の生活にフィードバックするものではないし、フィードバックさせようとしたものではない。とある「遊び」として『球形の季節』はある。日曜日に小説を書き疲れて手にとって読み、その後に喫茶店で読破して十分な時間、または、目と頭を楽しめる程度の時間。ワタクシの人生に深く関わらない小説。これは、誉め言葉でなのである。
update: 1999/02/07
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