書評日記 第554冊
幼児狩り・蟹 河野多恵子
新潮文庫 ISBN4-10-116101-1
大江健三郎の「死者の奢り」に似ていなくもなく、野坂昭如の初期の短編に似ていなくもない。とはいえ、「幼児狩り」が書かれたのはずいぶん前であり、ちまたの私小説があふれていた頃──その反動的に大江健三郎は居る──、〈物語〉を重視した場所に河野多恵子も居た、ということだろう。…が、実をいえば「死者の奢り」に比べれば「幼児狩り」には純文学嗜好は少ない。ある意味で趣味的かつ猟奇的でありサディズム的要素を基盤としているこの短編集は一種マニアックであり、万人に好まれるもの/べきものとは異なる。(これは「死者の奢り」が万人に受け入れられるべきものとする理由ではない)ただし、倉橋由美子の「スミヤキストQの冒険」やカフカの短編と同じ系列に並べるべき資質を備えている。むしろ、そういう個人体験的な思考(先の〈私小説〉とは反対にありつつも絶対的に存在する時代性に括られる)を楽しむことができる。
そういうところで大江健三郎が雑誌であり安部公房がマンガであった世代にとって十分に〈雑誌〉的であり、おもしろいと思う
比べるならば最近の流行(これは日本だけなのか?)である京極夏彦と森博嗣のコンビ、あるいは、村上龍と村上春樹のコンビ、を読み下すように小説世界に没頭できるのは楽しい──京極夏彦の「魍魎の筺」は知的なパルプとしておもしろい。──ことは良いことだ。活字と漫画を比類対極的に考えるわけではないが、めっきり漫画を読むことが少なくなった私にとって、活字を漫画的に楽しめることは未だ前進する娯楽についていける(生活的な?)余裕を持っていることを示しているのだろう。ひとは仕事のみに生きるわけではない。
ともあれ、とある小説に対しておもしろいおもしろくないで批評を下すのを避ける(大江健三郎が嘗て使っていた言葉だ)にしてもひと昔まえの小説に耽溺する理由はいまの流行に飽き足らない、あるいは沿うことの出来ない読者がいる、あるいは道ゆく人とは違った個人的な魅力を作者=河野多恵子が持っているに過ぎない、イコールそれを興味深く思う。そういうところで森茉莉や吉田信子に近いのかもしれない。
update: 2000/03/24
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