書評日記 第578冊
ルドルフ・シュタイナー100冊のノート展
ワタリウム美術館

 かつて書評日記は「稀Jrの100冊」というサブタイトルが付いていた。新潮の100冊――最近は100冊に収まらなくてプラスアルファしているけど――を真似して稀Jrという個人の選択によるカテゴライズの実践、を意識していた……ようないないような、感じだった。それに因んで「ルドルフ・シュタイナーの100冊のノート展」を見に行った……訳ではなく、日曜日の伊勢丹美術館「いわさきちひろと絵本展」は混み混みの大賑わいだったので他に逃れた、だけに過ぎない。
 銀座線で外苑前で降り、ベルコモンズが分からなくて妙に焼き蕎麦の売っている神宮球場前まで間違って行ってしまった後、再び駅まで引き返し駅の地図を見直して信号を渡る。なるほどベルコモンズを右手に曲がりキラー通りを進んで行くとワタリウム美術館があった。
 コンクリート打ちっ放しの地上三階地下一階の建物は入場料1000円という値段の割には狭いのだが、名前を書いたチケットを持っていけば別の日でも再入場可能、シュタイナー展の期間が2000年4月14日から8月27日という長期に渡っていること、一階には下町花火とポップアートな絵葉書売場、地下にはふたテーブルの喫茶店とアート本と哲学書の類、を見れば採算度外視のオーナー趣味のアート空間というスタンスなのだろう。
 
 100冊のノート、にしては以外と分量が少ない。実際100冊のノートが羅列&展示してあるわけではなくて20冊程度(それでも多いとは思うが)のメモ帳や黒板の引き写しがあるに過ぎない。ただ、狭い場所ながらも各階には椅子が置いてあってぼぉっと部屋の景色を眺めていることが出来る。妙に頑丈な扉を持つトイレの音がうるさいことを別にすれば――逆にあの大音量はなかなか趣のあるものとして捉えられるような気もするが――1時間ばかりの身体の休憩とゆるやかな脳の揺さぶりを受け止めるには十分な場所に思える。
 シュタイナーの最大の実績は後に続く人達に〈インスピレーション〉を与えたことだと思う。フロイトが性を以てして心理学をセンセーショナルに世の中に発表し、その後の紆余曲折ありつつも学問体系の拠り所を作ったことの功績と似ている。真っ黒の黒板に踊る、幾何学模様、矢印、螺旋、図形と単語、色あい、人間と宇宙と惑星と十二子宮、という組み合わせは、建築家としてのシュタイナーもさることながら、形而上学的な宗教者――シュタイナーの説く人智学は形而上学ではあるけれど――とは全く違った長期的な指針を与えてくれる。これがシュタイナー個人の魅力であるのか――バッハのピアノソナタを聴くように――それとも量子力学が持つ数学的な魅力なのかは良く分からないのだが、もう少し知ってみたくなる余裕を彼あるいは彼の理論は備えている。
 
 とりあえず「神智学」を買う。

update: 2000/08/01
copyleft by marenijr