書評日記 第597冊
熱帯植物園 室井佑月
新潮文庫 ISBN4-10-130231-6
『熱帯植物園』というタイトルから思い出されるのは、村上龍の『フィジーの小人』と山田詠美の『熱帯安楽椅子』である。果たして、松浦理恵子の『ナチュラル・ウーマン』に双璧するかと云えば、そうこの短編集だけでは断言できない、と保留にして、長野まゆみの『テレビジョン・シティ』あたりを思い出すに留めておく。
解説の枡野浩一によれば『熱帯植物園』はデビュー作であり、作者・室井佑月は美人であり、かつ才能を持ち、かつ華々しくデビューを飾りつつ現在も活躍中である、という非の打ち所のない女流作家――と敢えて〈女流〉を冠しておこう――だそうだ。あまりに絶賛されると鼻白んでしまうのが私の癖なのだが、柳美里のように室井佑月の名を覚えておくかといえば難しい。ただ、一年前から本屋の書棚に並んでいる『熱帯植物園』の淡い色の表紙をみて、それに違わぬ内容に手に取り読んだあと安心したことは否めない。
表題作の『熱帯植物園』を含めて、〈性〉に関する小説が続き、〈制服〉の時代を持つ少女に的が絞られている。精液という言葉にせよ強姦という表現にせよいじめの現場にせよ、この短編集に含まれている小説は物語の域を出ない。それは、私が〈制服〉の時代を持たない男という性を持つためかもしれず、また、弱い立場に身を潜めるという無意識的な集団への取り縋りをやめてしまったためかもしれない。おのおのの小説の主人公は十五才前後であり、〈制服〉を纏う。同級の〈制服〉たちに積極的な毛嫌いを示すものの、おぼれる場所は〈制服〉を身に纏った自分と相手の男に過ぎない。もちろん、〈制服〉を脱いだ、あるいは着ることが出来ない時代に足を踏み込んだときには、また違った顔を持つのかもしれず、しかし、とりあえずは現在のいまを埋めることにいそしむ(多少、同類の〈制服〉たちとは違うものの)姿がある。ともすれば、ひとつはみ出てしまった共感者を読者として持つかもしれないが、どちらかといえばそれほど湿っぽくない傍観者に室井佑月の小説は受け入れられるのではなかろうか。
いや、そうでもないかな。村上龍の『ラヴ&ポップ』のように援助交際にターゲットを絞り、実際に(と私には思えないのだが、時代はそうなのだろう)援助交際の少女たちに一番受け入れられるのかもしれない。
〈制服〉の時代に焦点を当てたものに石坂啓の『安穏族』や近藤ようこの『猫かぶりゼネレーション』があるけれど、それよりも表面的な文学風を装うエロ漫画――という言い方も古い、〈エロ〉ほど強烈ではないが、もっとソフトな場合はなんて云うのだろうか。ソフトポルノとか?――に近いものがある。
時としてエロ漫画に強烈な文学性を感じる(決して四畳半の襖貼りではない!)ときもあるのだが、そのジャンル分けと排他性に大いに疑問があるので、いわゆる純文学とも違うし、単なる娯楽とも違う、だが、何かを諮詢するわけでもなし、と保留にしておく。
update: 2001/01/26
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