書評日記 第619冊
牧野富太郎と植物画展 牧野富太郎
小田急美術館

 牧野富太郎は日本で最初の植物学者である。蒔絵筆で描かれたモノクロの植物画は学術的価値と同様に美術的に優れたものを残している。対象に対して精密であり大きくもなく小さくもない一番典型的なものをサンプルし描き一枚の紙に配置させていく。
 ケント紙に配置させる植物の断片は近代西洋にある解剖学図に似ている。全景を中心に配置し花びら、葉、茎、雌しべ、雄しべをまわりに置いてそれぞれに番号を振っていく。番号に従い説明を克明に書き付ける。
 牧野富太郎の荒俣宏が紹介する解剖図や動物・植物の図版と見比べて全く遜色ない。江戸から明治、大正に渡って和紙に描かれた影のない一本調子の植物図版から肉眼の限界に迫り一本一本の葉脈を丹念に描き雄しべひとつひとつを花びらの中に整然と配置させていく。図版のすべてを牧野富太郎が描いたわけではなく、彼の指導によってたくさんの標本が写し取られていく。そして彼の厳しい指摘が赤ペンによってゲラ刷りに書き込まれる。
 時にして色をつけることもあったらしいが、彼の絵の美しさはモノクロにある。墨と蒔絵筆を使って書き出していくが、薄墨はつかわない。薄い部分は細く描き、輪郭に隠れる影を太く描く。奥に窄まっていく葉の部分は斜線によって描かれる。その明確な明暗が石版によってくっきりと描かれる。黒い墨は色褪せることなくケント紙の上に植物を閉じ込めている。
 
 牧野富太郎の植物学は独学である。学校は小学校までしか行っていない。だが、植物学に対する姿勢は学生のそれであり、日々研究する日常は学歴とは全く関係ない努力の賜である。
 南方熊楠のように奔放であったか私は知らないのだが、晩年の牧野富太郎は悠々と自分の道を生きる自負を感じる。「超越的な」と云っていいかもしれない。
 とはいえ、一時期は金に苦労していたらしい。溜まりに溜まった借金の中でどのようにして植物学の研究をし続けていたのか、あまり想像ができないのだが、いわゆる資産を持つこととかつかつの生活ができるだけの金を稼ぐこととは全く違うらしい。床一杯の標本を目の前にしている写真からは出来ることをとことんまで突き詰めて為す、それだけである、という素朴さがある。

 とはいえ、妻の壽衛(すえ)は十三人の子供を産み五十過ぎで亡くなっている。牧野富太郎が一番苦しかった時期しか知らずにこの世を去っている。
 それに何か意味があるのかと云えばさして意味はなく、九十六まで生きた富太郎の不遇の時期を共に過ごしたという事実しかない。壽衛を亡くした苦しみを乗り越えて、という意味づけをしたくなるのは、読本化しすぎだろうか。

 「性幻想」を読んだばかりからかな?

update: 2001/03/27
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