書評日記 第628冊
蜜と毒 瀬戸内晴美
講談社文庫 ISBN4-06-83904-7
端的に云えば、男の浮気そして各人の罪悪に因り不遇の死を迎える話である。
瀬戸内寂聴(瀬戸内晴美)の小説は初めて読んだ。遠藤周作がキリスト教と対になっているとすれば、瀬戸内寂聴は仏教と対となっている。――「仏教」とひと言で云うには広すぎるのだが、ここでは詳細を省く、というか私は詳細を知らない――ただし、遠藤周作も瀬戸内寂聴も一面で宗教的な思想に対して真摯な面を持っているが同時に気さくな面ももっている。遠藤周作自身が狐狸庵と称して俗世どっぷりのぐうたらな面(優等生ではない部分)を強調しているのと同様に、ときどきテレビで見る瀬戸内寂聴の語り口は厳しい説法とはちょっと遠い俗世の部分を十分意識したものに聞こえる。もっとも、遠藤周作の場合は、キリスト教の面とぐうたらな面をそれぞれに使い分け両面を持ったときに初めてひとりの人間となる、という分離の考え方に沿って進めているが、瀬戸内寂聴の場合は宗教的な面を俗世に切り込んで見せ逆に俗世の部分から仏法の説話へと導いていくために「混沌」を主題にしている。これはキリスト教と仏教との違いであろう。
そんなことを考えながら「蜜と毒」とを読み進める。夫の浮気、妻がそれに気付く、不倫の相手、と三組の男女関係が錯綜するのだが、私くし、あまり登場人物が多いと誰が誰なのやらわからなくなって、複雑な関係を把握せずにはあはあなるほどと後か納得して、場面場面だけに没頭し、結末に至り全体の流れと作者が落ち着かせるストーリーの必然性にう〜むと考察を加えるのが癖になっているので、この男女の関係が三組であろうと一組であろうと複雑に入り組んだものであろうと、あまり評価をしないのでありますが、「蜜と毒」に限って云えば、ほどよく放蕩の限りを尽くした男性優位の立場から一転して、子供を孕む、家庭を崩壊させるキーを持つ、不倫相手の男を見限るといった女性自身つまりは瀬戸内寂聴に立ち戻って判決を下されるがよろしくばたばたと死んでいく男の姿をみていると、妻と愛人という擬似的な一夫多妻を実現する男の利己的遺伝子的な手法(男性自身は死んだとしても遺伝子が残ればそれで良いわけで)、女にすれば強い生命力&競争力を持った遺伝子であれば妻や愛人の立場関係なく子を孕むあるいは男を見限るという、女の戦略を一番表に出した女性側のセクシャル的にただしい小説かな、と思ってしまう次第です。
まあ、そんな科学的な根拠に従って――あるいは「擬似科学的な」根拠に従って――「蜜と毒」を瀬戸内寂聴が書いたかどうかさだかではないのですが、河合隼雄と中沢新一の対談の中で出てきた瀬戸内寂聴の小説(あるいは話?)に感動した中沢新一のそれは、どの本だったかいなぁ、と思っているところなのです。瀬戸内晴美って佐藤愛子と同じぐらい恋愛小説ばかり書いていた気がするのですが。
update: 2001/04/12
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