書評日記 第629冊
デジタルストレス 鐸木能光
地人書館 ISBN4-8052-0692-6
日本で本格的にインターネットが普及して5年余りが経つ。大学の研究生からごく一般の人達がホームページを立ち上げ、毎日の如く電子メールのお世話になるまでそれほど時間が掛からなかった、ということになる。携帯電話も爆発的に普及してしまい、iモードを始めとするネットワーク機能を盛り込んだ端末があっという間に出来てしまった。確か、CDが発売されてはじめてレコード盤が店頭から消え始めるのと同じぐらいのスピードだったように思う。
と、そんな技術革新に浮かれてIT革命だとか開けた未来を夢想した書籍がたくさん本屋に並び、それらと前後してに「インターネットは空っぽの洞窟」のような警告を発した本も売れた。プログラム・パソコン関係の雑誌も急激に増えた。「50代から始める…」というような壮年層をターゲットにしたパソコン雑誌も出るようになった。
パソコンでホームページを眺める、あるいは携帯電話でメールのやり取りをする、CDを聴く、ペイントショップなどのソフトを使って絵を描く。
著者・鐸木能光はこれらを「デジタル」として、そこから受ける心理的なストレスを「デジタルストレス」と言う。
おそらく、ホームページを作ったり、メーリングリストに参加したり、頻繁にメールのやり取りをしている人にとっては「デジタルストレス」の前半で描かれている惨状(掲示板荒らし、個人のクレームの脅威、青酸カリ、出会い系ネットなど)は既知であろうし同時進行的に知り得た情報だろう。しかし、当時の電車の釣り広告や週刊雑誌やTVにまで発展してしまう数々の社会事件の取り上げ方は、多分に見えない脅威として掲載されてしまったものが多い。これらは取材が足りないとか焦点が外れているという問題以前に、記事自体を書く或いは報道する側の決定的な経験不足によるものではないか、と私は思う。
また、対極にはテクニカルライターという人達が社会のコンピュータ化を大前提として記事を書く。いまどき、全面的にIT革命を盲信して書かれた記事を読む人もいないだろうが、インターネットを始めとして、規格としてデジタル化されざるを得ないネットワーク技術に対して、何らかの疑問を持つ人は数少ない。
ユニコードの普及による日本の漢字文化の衰退の危機は有名な話だが、実はその裏側に潜む緩やかなこだわりと標準規格化=デジタル化によって失われてしまうかもしれない個性を取り扱った本は珍しい。
「デジタルストレス」というタイトルが、一見、デジタル化する日常に対する目先の警鐘を奏でる宝島風に見えなくもないのだが、内実は、鐸木能光という一個人が同時進行で発展していったデジタル化の日常に向き合った、抵抗と同時に利便を求める融和という一個人が生活する中でさまざまな価値を取り揃えたバランスの取れたものになっている。
つまりは、デジタル化というものが美化された天国ではない、と同時に、泥沼の地獄でもない。
対極にあるアナログという形式の良さはデジタル化によって初めて見えてくるものでもある。おそらく、ふわふわと毛の生えたAIBOが発売されるのはそう遠くはないだろうが、デジタルペットを推進するよりも、マンションでウサギを飼えるようにするのが人間のあるべき姿かな、と思える本であった。
update: 2001/08/22
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