書評日記 第630冊
プラネテス 幸村誠
講談社 ISBN4-06-328735-1

 今朝テレビで山本一力の特集を番組っていた。40歳で新人デビューを果たして深川に7年間暮らし、今年の直木賞『あかね雲』を出版するに至った。下町の人達と一緒に節分の豆を紙袋で拾い、餅つきをして他人の子供の頭をやや乱暴に親しみを込めて小突き、江戸っ子という床屋で子供と一緒に角刈りにしている姿は、今の私にはかなり遠い姿であって、今読みかけである島田雅彦とも違っていて、ちょっと感傷的になった。会社の部署が変わって昔の転校生気分を思い出して、コミュニケーション不全である自分をそのまま肯定する己に最近の夢は反発してきて、大学時代に試験勉強をすっぽかしたことばかりが思い出されて仕方が無い。卒業できないという不安と共に朝目覚める回数が増えてきたのは、まあ、自業自得といえるのかもしれないが、和気藹々とした仲間内の形を避けてきた結果なのだから現状を受け入れる以外になく、たとえ〈間違っていた〉としても修正すべき時期はとうの昔に過ぎ去ってしまったことなのだ。
 昼休みの間、柄谷行人の『〈戦前〉の思考』を読んでいる間は少し気は晴れるものの、だからといってどう改善されるというわけではないのだが、ちょっと急いで会社を出て英会話の宿題を喫茶店で慌てて済ましてみて、いさんで結納の英単語を調べてみたものの、いざ時間になってみれば口から出てくる言葉は何時も通りに無く、何か変われるような浮ついた心が急速に萎み、ざわめきと共に始まるコミュニケーション・ゲームに不器用に付いていくしかない自分、あるいは衒いという無用な自尊心が邪魔をするのか、そんなに一度気にうまくいかない一時間を過ごしてしまう。
 電話と会合、そして赤羽と大宮までの間、何か意気消沈してしまった自分は、止め処もなく流れ出てしまう感情を言葉にできなくて、最近では思うことを意識的に避けていた〈間違っていた〉かもしれないという言葉を口に出す途端に、あらゆる過去を否定しないまでも少し価値観を他人とは違っているところに求めすぎたような、あるいは反発として避けて辿り着くしかない唯一の選択肢に陥ってしまったかのように、限定した言葉だけに助けを求めてしまった。
 再び、大宮、浦和、池袋、赤羽、新宿と埼京線に乗りパソコンで作業をしているうちに、少しは気持ちが整理されて、再び書評日記を書こうと思いつく。ノートパソコンの蓋を閉じ『〈戦前〉の思考』を読み終えようと最終章である湾岸戦争の部分を読み進めるうちに、アフガンでの戦争の開始と終了の3ヶ月間、自分が再び何も変わらなかったような気もし、また同時に、30歳の死から既に4年のオマケの人生を過ぎようとしている自分が何処に進もうとしているのか分からなくなる。

 が、ともかくも阿佐ヶ谷に到着し、本屋で漫画を物色しているうちに『プラネテス』を見つける。星野之宣を思わせるような表紙は、SF好きを自認する私の興味をかきたてるには十分だった。
 正面から宇宙を舞台にしたものは、星野之宣や谷甲州のものが好きで、舞台装置の地味さ加減と自然に宇宙飛行士に憧れる想いとが紙上を飾っていて楽しい。
 『プラネテス』に出てくる3人の主人公達(でよいと思う)は、宇宙のごみ掃除屋である。デブリと呼ばれる軌道上に漂っている衛星のゴミを拾い掃除をする仕事をしている。サルベージ(掃海)任務に付く谷甲州の小説にも似ている。登場人物の個性の描き方はゆうきまさみの『パトレイバー』に似ているけれども、それほどファンタジーちっくではなく、かつてのSFファンが求めていた宇宙への想いが素直に現れている良作揃いである。
 描かれた時期が、1999年7号、28号、2000年18、19、39号なので、ある忌みで十分練られた素材らしい。2001年で初刷、同年11月に11刷を数えているので売れているいってよい。それに現時点で2巻目が出ている。
 
 と、愚痴を書いているうちに千字を超えたらしい。山本一力は毎日千字の日記をつけていた。小説家になりたいという想いはそういうこつこつとした毎日の積み重ねから生まれるはずだから、当然そうするべきだと思う。横山さんは四度目の受賞らしい。羨ましくないといえば嘘になる。しかし、進んでみなければ分からない道ならばこのまま進んでみるのも悪くはあるまい。ただ、少し謙虚に過ごしてみようと思う。

update: 2002/02/07
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