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早すぎた発見、忘れられし論文
大江秀房
講談社ブルーバックス
ISBN4-06-257459-4
科学する心を忘れずに、ということで久々にブルーバックスを買う。『早すぎた発見〜』というタイトルに惹かれてしまうのは、「夭折」とか「不運にも」というような境遇に魅せられてしまうからなのである。まあ、大きな組織にいる小さな自分を感じて「仲間」を求めたい、という自己治癒というかハッキリいえば「不幸オタク」みたいな感じである。カフカとか、綾波レイとかね。 以前、『アインシュタインの部屋』という本を読んで、物理哲学者という理系であって理系でないような人を知ったわけだが、著者である大江秀房氏も科学界にあって科学に関係ない(くもないのだが)、科学史編纂という立場にいる。「科学ジャーナリスト」という肩書きが付いているが、立花隆とは全然違うので注意が必要。 ざっと並んだ10名。アボガドロ、メンデル、ガロア、ポアンカレ、ギブスは知っていたのだが、あとは知らなかったです。大陸移動説を唱えたのはウェゲナーだったのね、とか、天才数学者アーベルなんて知りません、という具合で、理系なワタクシですら半分しか知れないのだから、文系な方ならばモゴモゴ、という感じかもしれん。もっとも、落ちこぼれ理系なんで、本格的な理系な人ならば数式まで知っているところでしょう。 内容は伝記というほどでもないが、生い立ちが詳しく書いてある。偉大な先達に論文をゴミ箱に捨てられたり、放っておかれたりと、不幸といえば不幸なんだが、ゲイツのようにあるいはトーバルズのように、というわけで自己の表現を何処に求めるかということで、人生の幸と不幸はよくわからないものがある。まあ、100年以上前の狭いコミュニティと現在の広いインターネットレベルのコミュニティ(「広い」という幻想かもしれんが)とを同列に考えるのは無理があるかもしれないが、寺山修司の書く通り「幸福の断片は何処にでもある」のだ(『幸福の無数の断片』は中沢新一の著作)。 と、そんな不遇という立場にもめげず、各天才達は不屈の精神と努力をして自分を信じ 、自分が信じるところの理論を確立しようと邁進する。結果は、死後だったり数十年後だったりするわけで、当時の当人にとっては死後の栄誉は伝わらないわけで、そこにあるのは「自負心」だったりするのだ。この「自負心」、ワインバーグの『ソフトウェア文化を創る』シリーズにも何度が出てくるのだが、「自負心が低いと、人に当り散らす、他人に責任転嫁をする」という自分を見失いがちな行動を起こしやすい、という。いわば、他人から嫌われる行動、あえて孤立する行動を取る、ということになる。ただ、私見を言えば、自負心の低い行動が、必ずしも「悪い」行動とはいえないのではないか、ということである。心理学者マルローの言う組織内の行為、組織を率いる力を思考力とか愛情とかと同様なひとつの偉大な能力として捉えることをした場合、つまりは組織内で生きていけない人(いわゆる「協調性」がないと言われる人たち)は、どうなるのかという懸念でもある。ただ、社交性とは関係なく、個人の業績を重視したときに、犯罪や身勝手な行為ではない各人の行動や行き方に対して、現代社会において単一次元による比較評価ではなく、多次元であり多階層であるゆるやかな協調において、人は相互に理解しあうものではないか、と考えたりするのだ。つまりは、「人それぞれ」。
update: 2004/12/09
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